亡き妻の影を蛾に感じる夫の心理とは?『蛾はどこにでもいる』横光利一:読書感想
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蛾はどこにでもいる 横光利一 青空文庫で無料公開中
横光利一が愛した妻、キミの闘病から死後までを作品にした
亡妻シリーズ3部作の1作です。
横光利一といえば、友人でありノーベル文学賞受賞者でもある川端康成と共に
「新感覚派」と呼ばれる戦前に流行した文学形式の第一人者です。
「新感覚派」ってなに?
亡妻シリーズってなに? 他にどんな作品があるの?
横光とキミの関係を詳しく知りたい。
などなど、それらはすべて別の記事に既に書いておりますので、
こちらを読んでみてください。↓
このページでは亡妻シリーズ中の1作『蛾はどこにでもいる』の
あらすじと感想・考察をご紹介します。
妻との闘病生活中、振り回され疲れ果てた横光ですが、
妻の死後も、彼女に振り回されていたようです……
目次 1. おおまかなあらすじ
2.蛾を妻だと思い込んだその心理とは?
亡妻シリーズの残り1作品についてはこちらからどうぞ↓
1.おおまかなあらすじ
『蛾はどこにでもいる』は亡妻シリーズ3部作の1作です。
3部作を発表された順に並べますと
『春は馬車に乗って』 1926年
『花園の思想』 1927年
『蛾はどこにでもいる』 1927年(『花園の思想』よりも発表は後)
になります。
書かれている内容を読み比べますと、
妻の闘病中の苦しみが語られた『春は馬車に乗って』
妻の死期が近付き悲しみに暮れる『花園の思想』
妻の死後にその陰に怯える『蛾はどこにでもいる』
と、作品の内容を時系列で並べても
同じ順番になります。
『蛾はどこにでもいる』は妻の死後の話で、
他2作とは違い、ホラーテイストな作品となっています。
それでは、あらすじをご紹介しましょう。
妻が死に、悲しみに暮れる夫。
しかし、しばらくの間妻の実家に身を寄せるうちに、
妻の妹に欲情を感じてしまい、家を出ることにする。
恩師の家に厄介になり始めるが、
この頃から、自分にまとわりつくように飛ぶ「蛾」の存在が
気になるようになる。
妻の死のダメージが癒えない夫は、旅に出る。
旅先の海で見た、若い男女の健康的な肉体に生を感じ、
少し気持ちを持ち直すも
そこにまた「蛾」が彼の前に現れた。
この「蛾」は「妻」だ。
何故そう感じたのか、理由は自分でも説明できないが
夫はそう直感したのだ。
そんな妄想に悩まされている日々に、
一人の美しい女が夫のもとを訪ねてくる。
夫は、「蛾」にすら妻を見出したのだから、
「この女が妻の生まれ変わりではないと
どうして言えようか?」と
女の中に「妻」の存在を探すが、
失敗に終わる。
面会中、女は不思議なことを言い始める。
「風が吹いていますね」
しかし夫には風が吹いているとは思われない。
これはどうしたことか、夫が戸惑いを感じているうちに、
一匹の「蛾」が女に飛びかかるように向かっていった。
女は大袈裟に驚きながら、そのまま逃げてしまった。
女がなぜただの「蛾」に逃げ去るほどの恐怖を感じたのか。
夫は、女は極端な蛾嫌いだったのだと言い聞かせつつも、
「妻」の存在をそこに見出してしまう。
そして、夫は再び旅に出る。
しかし旅先でも「蛾」が彼の前に現れるのだ。
「蛾はどこにでもいる」
夫は無理にでもそう思い込もうとするのだった。
2.蛾を妻だと思い込んだその心理とは?
愛する人や大切な人が亡くなった後に、
もう一度会えないだろうか……
こう考えるのはとても自然な感情です。
しかし、会いに来た姿が「蛾」、とは……
「蛾」って、なんか嫌な虫、という印象があります。
飛んで来たら、作中の女性のようにダッシュするほどではありませんが、
反射的に払いのけたり、少し距離をとろうとしちゃいます。
蝶(チョウ)とほぼフォルムは一緒なのに、なんでなんだろう?
作品を読み終えた後、そんなことをぼんやりと考えていました。
会いたい人が「蛾」なって会いに来る、というシチュエーションは
お世辞にも嬉しいとは言い難く、不気味さの方が強く感じます。
亡妻シリーズの他2作では、表現の違いこそあれ、
死にゆこうとしている妻への深い愛情が感じられる作品に
仕上がっているのに、
『蛾はどこにでもいる』だけは、
妻への未練以上に、
妻の影に怯えているような、そんな作品になっています。
亡妻シリーズは作者である横光の実体験をもとに書かれた小説ですが、
愛妻の死後に「蛾」につきまとわれたエピソードがあったのかは、不明です。
実際がどうあったかはともかく、
横光の妻への負の感情を感じさせるようなきっかけが
あったことは確かなのではないかと思います。
というか、作中にも出てくる「妻の妹」の存在が
引き金になったのではないか、と
予想がつきますよね。
夫は死んだばかりの妻が恋しいばかりに、
妻の妹にその面影を求めてしまう……
ここから夏目漱石辺りなら青春小説っぽい作品を
ひねり出しそうな気がしますが、
横光としては、いや、倫理的にも常識的にも
「アウト!」でしょう。
彼は逃げるように妻の実家から遠ざかり、
間違いをおかすことを防ぎますが、
おそらくここで生まれてしまったのが「罪悪感」というやつでしょう。
これが、夫に「蛾」なんていう害虫に組み分けされがちな虫を
「妻」だと思わせるにいたったのだ、と思われますね。
「蛾」は横光が想像する、亡き妻の感情を表した姿なんでしょうね。
怒り、嫉妬、未練、この辺の負の感情を宿すのに
相応しいのは、蝶ではなくやはり「蛾」の方でしょう。
「蛾」につきまとわれるっていうのは、
実体験としてあったわけではなく、
横光が妻への感情や、妻が自分に感じているだろう気持ちを
例えるのに思いついた、要は横光の想像の産物だと思います。
比喩表現を多用する文学形式を好む「新感覚派」に属する
横光ならではの表現なのかもしれません。
「蛾」の持つイメージだったり、
「蛾」につきまとわれると感じそうな嫌な感情だったりで、
『蛾はどこにでもいる』はホラーテイストな作品になっています。
現代作家だと、森見登美彦さんの書く怪談に雰囲気が
よく似ていると思います。
モリミー作品が好きだという方、読んでみてください。
できれば亡妻シリーズ3部作全部読んでみた上で、
テイストの違いも楽しんでほしいなと思います。
亡妻シリーズはどれも中編程度でそんなに長い作品はありませんので
そんなに読破に時間はかからないと思いますよ。
いかがでしたでしょうか?
横光利一はたまたま青空文庫で目についただけ、というのが
読み始めたきっかけだったのですが、
彼独特の言葉のチョイスだったり、
作品によって妻・キミの印象がコロコロ変わる面白さだったりに
すっかり魅了されてしまいました。
横光利一と亡くなった妻・キミをモデルにした作品は
亡妻シリーズ3部作以外にもあるそうで、
今後読んで、感想をアップできればと思っています。
ちなみに、該当する作品の中で『妻』というのが
青空文庫で無料公開済でしたので、
興味のある方はぜひ読んでみてください。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。
横光利一の亡妻シリーズの他の作品についての記事はこちらからどうぞ↓
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