一見ハッピーエンドにも思えるが…あなたの価値観が浮き彫りになる『尾形了斎覚え書』(読書感想)

元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!

今回ご紹介する本はこちら

尾形了斎覚え書  芥川龍之介  青空文庫で無料公開中

大文豪による短編です。漢文の読み下し文のような文章で、正直少し読みづらいのですが、10~15分ほどで読み切れるほどの文章量です。

が、しかし。この短編、その短さにして読解や考察をするのに十分な内容の濃さを持っています。

私はこのお話を読んでから2、3日、思い出したように「あれはなんでだったんだろう?」「どういう意図があったんだろう?」とモヤモヤ考え続け、その考えをtweetしたところ、それに対するコメントもいただき再び2、3日考えてしまうという……

読む人の価値観が浮き彫りになったり、誰の目線で物語を読み解くかで180°解釈が異なってきたりと、語るにふさわしい密度の作品でした。

作品をご紹介しつつ、私なりの解釈、考察をご紹介したいと思います。

1.簡単なあらすじ

まずは簡単なあらすじからご紹介しましょう。少し本文は読みづらいので、ざっくりとあらすじを頭に入れてからの方が読みやすいかもしれません。

本作品はそのタイトル通り「尾形了斎」という人が経験した「とある事件」について「覚え書」を残したものです。

この尾形了斎なる人物は医師をしています。この尾形の住む村に篠という母親とその娘が暮らしており、彼女たちがこのお話の主要登場人物です。

篠は夫に先立たれてからしばらく、隣村のキリスト教の宣教師と出会い、娘と一緒に仏教からキリスト教へと改宗します。尾形をはじめとする他の村人たちは皆仏教徒であり、篠親子のことを快くは思わず、村八分のような状態になっていました。

そしてある時、篠の娘が重い病にかかってしまいます。篠は医師の尾形の元を訪れ診療をお願いします。しかし、尾形はこれを拒否。尾形は「診療してほしければキリスト教を捨てろ」と篠に迫ります。しかし、篠は信仰を捨てられず、泣く泣く諦めて帰ります。

しかし娘の容態は回復せず、ついに篠は棄教することを決意、尾形は娘の元に診療に赴きます。

ところがその時すでに遅し、娘の命はすでに尽きようとしていました。

娘は亡くなってしまい、信仰と娘を同時に失ってしまった篠は乱心してしまいます。

その翌日、尾形が篠の家を通りかかった時、篠の家にはキリスト教の宣教師と信徒がやってきており、村人も集まって大騒ぎになっていました。

何が起きたのか? 尾形が家の中を見ると、娘を抱きかかえ泣く篠と、母の名と「ハレルヤ」と唱える娘の姿が! 篠の娘は生き返っていたのです。

2.なぜ奇跡は起きたのか?

あらすじを読むとお分かりの通り、作品内では一つの奇跡が起こりました。死者が蘇る、というものです

一度死んだ人間が生き返ること自体は、昔からまれにあることと言われています。日本でも、すぐに火葬・土葬せずに通夜をするのは、もしかしたら生き返るかもしれない……という可能性を考慮しているからです。

しかし、ここではあえて医学や生理学的なことは抜きにして「なぜ、娘は生き返ったのか?」を考察してみたいと思います。

というのも、現実世界であれば死人が生き返るかどうかは神のみぞ知るところですが、作品世界の神は「作者」です。この場合は芥川龍之介が生き返るかどうかを決めている張本人になります。

神には神なりの、理屈があるはず。何も考えなく登場人物を殺したり生き返らせたりはしません。私が本作品を読み終えた後に、真っ先に感じたモヤモヤはこの「神はなぜ娘を生き返らせたのか?」でした。

作品を読むと、いくつか生き返りの理由として思い当たるものが見つかります。

一つ目が信仰心です。

母娘ともに、熱心なキリスト教信者であることはよく伝わってきます。村の人々から白い目を向けられても、母娘は信仰し続け、特に娘は生死の境をさ迷っている間も懸命に祈りの言葉をつぶやいていたくらいです。神様ならずとも「救ってあげたい」と同情を寄せてしまうような熱心さではないでしょうか。

そして二つ目が母親の愛情です。

尾形に娘の診療を断られ、一度は引き下がった母。しかし、翌日彼女は自分の信仰心を捨てるという決心で再び尾形のもとを訪れます。そして実際に、キリスト像を踏んでみせることまでして ”本気” を尾形に伝えています。

信仰心の薄い私なんかはこの時の母親の気持ちを推測してみるしかないのですが「神社のお守り踏んでみろ」と言われて素直に「はい」と頷ける人は少ないのではないかと思います。なんとなく、罰が当たりそうで嫌ですよね……

特に神様を信じているわけでも、神道に帰依しているわけでもないのに「なんとなく嫌だ」という気持ちが働くくらいですから、本気で信仰している人には耐えがたい苦痛だったことでしょう。

しかし、母親はそれでも踏みました、捨てました。すべては娘のために。

自分の大切なものを犠牲にすれば、望みが叶うほど現実は甘くありません。しかし、作品世界でくらい報われてもいいのではないか? 芥川が実際にそう思ったかどうかはわかりませんが、奇跡を起こすに十分な犠牲を母は払ったと認めてもいいと思うのです。

私は二つ目の「母親の愛情こそが娘の命を救ったのではないか?」と考え、実際にツィートしています。どちらの理由か(あるいは人によっては他の理由が考えられるかもしれませんが)読んだ人の価値観が色濃く作品の解釈に反映される作品だ、という主旨でコメントを残しました。

私はここでいったん、本作品の解釈に満足してしまったのですが、まだまだ、本作には読みほぐす余地が残されていました。

3.母子の話ではなく宗教闘争か?

本作をもう一度考察し直すきっかけとなったキーワードは「ハッピーエンド」でした。

本作のラストは病気で亡くなった女の子が無事に(?)生き返り、一見「ハッピーエンド」のように思えるのです。少なくとも私は「ハッピーエンド」として本作を読み終えました。

が、しかしです。本作のタイトルを思い出してみましょう。『尾形了斎覚え書』ですよね。

そう、本作の主人公は尾形了斎なのです。

そして作中の視点はずーっと尾形了斎で固定されています。

彼は仏教徒であり、医者でもあります。

彼の視点から見た時、母娘に起きた奇跡は果たしてどのように映るのか……?

さて、本作は「ハッピーエンド」とは言えないような気がしてきました。

一言で言えば、「不気味」ですよね^^;

尾形の視点で母娘の一部始終を見てみましょう。

自分にはよく理解できない熱い宗教心、死の間際でも得体の知れない(ように尾形には思われる)神に祈り、挙句の果てには生き返りという珍事を引き起こす始末……

いやいや、恐い怖い……これはホラーです。

私は自分も子供を持つ母親の身なので、娘が生き返ったことに純粋に「よかった!!」と母親目線で食いついてしまいましたが、視点を変えるだけで、全然物語から受け取る印象が変わってしまいました。

「誰の目線で語られた物語なのか?」は他の芥川作品を読んでいてもとても重要なポイントになっていることが多いので、もしかしたら芥川は尾形が受けた不気味さを感じ取ってほしかったのかもしれません。

また、そこから一歩進んで考えると、本作は対立こそ表現したかったのではないかとも思えます。

仏教徒 と キリスト教徒。

医者という科学 と 宗教という神秘

作品の冒頭でも母娘が差別を受けていたことがわかっていること、宗教上の理由から尾形が診療を断ったのことなどから、対立構造も意識されていた気がします。

人が生き返るという本来ならハッピーな奇跡でさえも、理解や受容を呼び起こすどころか、かえって対立を深めてしまう始末本作で対立しているものは決して交わることのない2つの直線状にいるようなものだということが、かえって際立って感じられます

さて、今回奇跡的に助かった母娘ですが、その後、村で平穏に暮らしていくことはできたのでしょうか……

そこまで思いをはせてみると……ますます単なるハッピーエンドではなかったようですね^^;

4.医師としての尾形

と、まあ、ここまでは私が自分で考えたり、感想にいただいたコメントから辿り着いた考察ではあるのですが、もう一つ、これは考えすぎかもしれん、という解釈を思いつきましたのでここでこそっと披露しておこうと思います。

その解釈というのが、尾形を事件の観察者として捉えるだけでなく、彼が医師であることを重要視してみようというものです。

事件の起こりは娘の病気です。死因ももちろん病気。

しかし、娘が死んでしまったのは、病気のためだけでしょうか?

本来なら医師である尾形はその知識と技術をもって、すぐに母親の求めに応じて診療をすべきでした。しかし、尾形は宗教上の理由やら、いろいろ理由をつけて、診療を断っています。そして診療に応じた時には既に手遅れ……娘は間もなく死ぬとすぐにわかるような容態にまで陥っていました。

この状況、医師である尾形がどう思ったんでしょうか?

「自分がもっと早く診療していれば……」

そんな風に思わずにいられたでしょうか?

医師たるもの、手遅れで患者を死なせることはショックを受けずにいられなかったのではないでしょうか?

しかし、それを認めることもまた、辛いことのように思えます。大きな罪悪感が襲ってくることでしょう。

その罪悪感を逃れるため、自分を慰めるために、尾形がひねり出したストーリーが異教の不気味さを前面にだした『尾形了斎覚え書』だったのかもしれません。

「自分が悪くない、悪いのは不気味なあいつらだ、異教徒だ!」

そんなふうに責任転嫁したい尾形の叫びが本作を生み出した……なんていう解釈はどうでしょうか?


いかがでしたでしょうか?

わたしが思いつくままの解釈を述べましたが「誰の目線で」「何を重要視するかで」まだまだいろいろな考察ができそうな作品だと思います。

読んで考察していくと、あなたが大切にしている価値観が表面化してくるかもしてません。

ぜひ読んでみて、自分なりの考察をして楽しんでみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です