大文豪・永井荷風の一流の皮肉が楽しめるエッセイ『偏奇館漫録』読書感想

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偏奇館漫録  永井荷風  青空文庫で無料公開中

「偏奇館」とはなんぞや?

名前からして事件でも起こりそうなヘンテコリンな館ですが、明治から昭和を生きた文豪・永井荷風の住んでいた家の名前なんです。

『偏奇館漫録』は彼が偏奇館に住んでいたとこに感じたアレコレをつづったエッセイになります。

ネーミングセンスから感じられる通り、永井荷風、かなり変な人です。

大文豪により一流の皮肉を難しいことを考えずに堪能できる楽しく読めるエッセイでした。

永井荷風の他の作品は読みづらくてもこれは大丈夫!

気軽な気持ちで楽しめるユーモラスな文章の魅力をご紹介していきたいと思います。


1.偏奇館の由来

そもそも、自分の住む家を永井荷風はなぜ「偏奇館」と名付けたのでしょうか?

『偏奇館漫録』の冒頭に、その名前の由来が記されています。

ペンキ塗の二階家なり。因って偏奇館へんきかんと名づく。

『偏奇館漫録』より

ペンキ……へんき……偏奇!

みょうちくりんな当て字にしたものです、まあ、ひねくれた人だったのでしょう。

永井荷風が現在の六本木にあった偏奇館に引っ越したのは彼が40歳ごろ。

それまで彼が歩んだ人生はこの時代の大文豪らしく、波乱万丈です。

偏奇館時代までの永井荷風の略歴をまとめるとこんな感じです。

永井荷風の略歴

生まれは東京、学生時代に文学に傾倒します。

大学を中退したのち、大文豪の一人、広津柳浪の弟子になります。

フランス語を習い始めて翻訳したり、オリジナル作品を作ったり……中にはこれまた大文豪の一人、森鴎外に絶賛されたものもありました(『地獄の花』)。

その後父のすすめでアメリカに行き、肌に合わぬといってフランスに行先を変えてもらい、外遊します。

帰国してからは文壇世界で華やかに活躍したらしく、多くの文豪たちと交友を持ち、慶応大学文学部の主任教授まで務めたんだとか!

しかしその一方で私生活は破綻していたらしく、2人の女性と結婚、そして短期間で離婚をしています。

その後慶應大学を辞めたり、これも作品に名を残している「断腸亭」に住んだりした後に、偏奇館へと移り住みます。

永井荷風の華やかな外交、文筆生活の裏には多くの女性が泣いていそうです。

経歴を見ても一癖も二癖もありそうな永井荷風ですが、その人格がもろに反映されているのが『偏奇館漫録』なんです!

ちなみに、この「偏奇館」に暮らしていた時分に、彼の代表作のひとつ『墨東奇譚』が誕生しています。

これは小説家と一人の女の出会いと別れの物語で、こちらも青空文庫で無料公開中です、よろしければこちらも読んでみてください。

なお、「偏奇館」は戦争で焼けてしまい、その後の永井荷風は精神的に病んだり、知人と揉め事があったりと落ち着かない日々を過ごし、晩年は寂しいものだったようです。

2.大文豪一流の皮肉を楽しみましょう

『偏奇館漫録』は永井荷風がその頃に感じたアレやコレをつづったエッセイですが、万事、皮肉がきいてます。

其の紅粉は俳優の舞台に出るが如く其帯は遊女の襠裲しかけの如く其羽織は芸者の長襦袢よりもハデなり。

『偏奇館漫録』より引用

この文章、銀座を歩くうら若きお嬢さんたちを描写した一文です。普段見慣れない漢字が多く使われているため意味をとりづらいですが、要は「お嬢さんたちの派手過ぎる格好が目に毒々しい」くらいの気持ちがこめられていますね。

永井荷風の筆にかかれば、華やかな銀座の街並みもかたなし……ただの人混み激しい不快な街並みと化してしまいます。

他にも「小説作法について書いている時は、それについて書いてある他の文章を読んではならない」だとか、東京の電気や水道はよく止まるが平気で金をとる、日本の文明の利器は不便なものだ」などなど……

人嫌いでひねくれた思考の持ち主であることを、あらんかぎりぶちまけたような文章ばかりです。でもそれが、妙に説得力があって面白い!

例えばこれなんてどうでしょう↓

盗むと返さぬとは其の名を異にすと雖もその実は相同じ。盗むは暴にして拙し。借りて返さぬは卑しくして巧なり。

『偏奇館漫録』より引用

盗むのが良くないことなのは頷けますが、そう言われてみれば借りっぱなしの状態も泥棒とそう変わりはないような……「借りパク」なんて言葉も生まれてるくらいですしね^^;

「なるほど!」と思わずうなずいてしまいました。本質をついてる気がします。

そう言えば貸したものを「返して」っていうの、勇気いりますものね。

その裏には「あんたそれじゃ泥棒と一緒だよ」という意識があるのかもしれません。

他にも2、3、心に刺さった文章をご紹介しましょう。

①この文章、どこに向かってるの?

何気ないところから始まった文章、それがとんでもない教訓に結びついていたりするんです

永井荷風は花が好きだったらしく、自分で育てたこともあるようです。

しかし、偏奇館に移ってからは「花は自分で育てず燐家の花壇をみればよい……」と思ったそうです。

その理由が、虫。

苦手な方もいらっしゃるでしょうから(実は私も超虫嫌い)引用は避けますが、虫に苦しんだことのある人の描写が生々しく続きます。

しかしこの虫の話、突然の愚痴かと思いきや、ちゃんとオチ(?)があるんです。

およそ物として虫なきはなし。

(中略)

利のある処必ず害あり楽しみの生ずる処悲しみなくんばあらず。予め害を除くの道を知らずんばいかでか真の利を得んや。悲しみに堪うるの力ありて始めてよく楽しむを得べし。

『偏奇館漫録』より引用

物事にも良い面も悪い面もある、ということを虫(=悪い面)、花(=良い面)に例えるために「俺は虫が嫌いだ」っていう話を持ってきたんですね。

ただの虫の話がこんな人生の教訓に化けました!

いや、ごもっともなんですが、なんかもっとマシな話の振り方は無かったのかとツッコミたくなります。

②ちょいちょい、挟んでくるよね

永井荷風は小説家。そのためなのか、なんなのか。小ネタのように小説家の無知やドジを文章のなかにいれてくるんです。

文士にして字を知るは稀なり

(略)

字をまちがえる小説家も称揚すべし。

『偏奇館漫録』より引用

これは……謙遜? なんでしょうか?

それとも、誤字脱字とかも許してね、ってことなんでしょうか?

皮肉屋だけど、自身の作品については案外小心者だったのかもしれません。

なんだかちょっと荷風が可愛らしく感じた部分でした。

③世の中もっと気楽でいいのかも

現在、日本の大学の学力低下などが問題視されていますが、その種は永井荷風の生きた時代から既にまかれていたようです。

いろいろな学校が “大学” の名を得ようと文部省(現在の文部科学省)に許可を得ようと殺到していたとの描写があります。

皮肉屋な永井荷風はその風潮を呆れてみています。

大学という名前が学校という学校全てについてしまえばありがたみも何もなく、大学という名前ではなく中身が大事になるのだ、というわけです。

ごもっとも、というわけなんですが、ここで終わらないのが永井荷風の筆力、思考力です。

大学についての文章を、彼はぼやくようにこう締めます。

大学生になったからとて俄に女学生やカッフェーの女給仕が惚れる訳でもあるまじ。品行方正学術優等なれば金満家へ養子の口はいくらも御在ましょう。

『偏奇館漫録』より引用

大学という名前をつけたがる教育者側にとどまらず、大学という名前にひかれてやまない若者へも警鐘を鳴らしているんです。

しかし、この一文、ただ呆れて言っているわけでもなさそうです。この文章の前に、永井荷風は世の中の階級至上主義の大人をからかい、世の中が平等主義に変わってきていると説きます。

彼が本当に皮肉を感じているのは目を血走らせて、階級、学歴を目指していたこれまでの大人なのでしょう。

そんなに肩肘張って生きる必要はないんだと、そっと肩に手を置くような気持で書いたのかもしれないと思います。

「少年よ、大志を抱け」とは真逆ですが、これも愛あるメッセージ(?)

3.『偏奇館吟草』のご紹介

永井荷風の住処だった「偏奇館」の名前を冠した作品がもう一つ、青空文庫では公開されています。

それが『偏奇館吟草』です。

アプリによっては、この作品を「永井宗吉」名義で登録しているものもあるかもしれませんが、永井宗吉は永井荷風の本名なので、同一人物です。

なにより、「偏奇館」なんてネーミングセンスを持った人間がそう多くいるわけもありません(笑)

こちらはエッセイではなく詩集で、内容はというと、明るい雰囲気のほぼ皆無でしたね^^;

『偏奇館漫録』を書いた人なだけはある、人生を振り替えって嘆くような、厭世的で悲し気雰囲気の詩がほとんどです。

ただ、永井荷風の詩は遠回しな比喩表現はほとんど使わず、詩にしては抜群に意味がわかりやすいです。

私は詩を読むのが超がつく苦手なので、その私が「わかりやすい」というくらいなので、本当に簡単に読める詩ばかりです。

中でも永井荷風の皮肉がよくきいて面白かったのが『拷問』です。

タイトルだけ見るとドキッとしますが、内容はひねくれていて……もうひねくれすぎていっそのことユニークさすら感じさせる内容です。

病院や美容院もいいようによっては……

生きるためにしなければならないこと(食べたり掃除したり)が、時々、めちゃくちゃ面倒になる私には、なんとなく気持ちわからんでもなかったです。

読みやすい詩ばかりでサクサク読めるので、こちらもおススメですよ。

4.偏奇館の現在

「偏奇館」は既に戦争で焼けてしまっていて、跡形も残ってはいません。

しかし、その跡地には石碑が建てられているそうで、港区の観光案内HPなどで場所と実物の写真が確認できます。

残念ながら写真では石碑に何と書いてあるのか、読みづらくて詳細は分かりませんが、六本木のど真ん中にあるようなので近くを通られた際は立ち寄ってみるといいかもですよ。

私も遠出ができるようになったら訪れていつかここに実物の写真をのせようという夢(そんなにたいしたものではないか……)ができました。

「偏奇館」跡の石碑 住所

東京都港区六本木1-6-1 いずみ通り側


いかがでしたでしょうか?

『偏奇館漫録』は皮肉の聞いたエッセイで、しかしただの皮肉に終わらず、人生に対するメッセージが含まれている永井荷風の人生観が垣間見える作品でもあります。

大文豪一流の皮肉を楽しんでみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

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