名奉行も若いころはとんでもないワルだった!?『大岡越前』読書感想

元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!

今回ご紹介する本はこちら

大岡越前  吉川英治  青空文庫で無料公開中

大岡越前の名前は時代劇でよくご存じの方もいらっしゃるでしょう。これまた時代劇で有名人の徳川吉宗が将軍時代に町奉行を務めた実在の人物です。

大岡越前といえば名裁きが有名で2人の自称母親が1人の子どもの親権をめぐって争った事件を、トンチのきいた方法で見事解決してみせた「子争い」の話は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

庶民のヒーロー、名奉行! 大岡越前には良いイメージがついて回っているかと思いますが、吉川英治の書いた『大岡越前』は少し様子が違っているようです。

彼がいかにして名奉行と呼ばれるほどの男になったのか、吉川英治の作家としての想像力が爆発した作品です。

それではあらすじや感想などをまじえてご紹介していきましょう。

1.そもそも大岡越前とは

まず、作品をご紹介する前に実在した大岡越前という人物について軽く触れておきましょう。

大岡越前の本名・大岡忠相(おおおかただすけ)、1677年~1752年、8代将軍、徳川吉宗の時に江戸の南町奉行として活躍した人物です。吉宗は幕府の財政を立て直しや小石川養生所の設置や火消対策などを行った享保の改革を進めた人物で、大岡忠相はそれを町奉行として支えた、とされています。

忠相は1700石の旗本の四男として生まれます。従兄の大岡忠英が起こした殺人事件により、一族が連座して閉門処分になるなど、生まれ育ちが恵まれていたかというと、そういうわけではないようです。

しかし忠相は徐々に幕府官僚として出世していき、書院番、目付などを経て山田奉行(伊勢のあたり)に任命されます。その後、能登守にも叙任されます。

そして江戸へと戻され南町奉行となり、火事の多かった江戸の町の防火対策をしたり、風俗の取り締まりをしたりと吉宗の享保の改革を町奉行として支えます

晩年には加増や領地を与えられ大名にまで出世します。奉行職から大名まで出世したのは長い江戸時代の歴史の中でも大岡忠相だけだとか。

立身出世を果たした忠相ですが最後は病におかされて病没。ちなみに大岡一族の菩提寺は窓月山浄見寺(神奈川県茅ケ崎市)にあり、一族13代の墓がずらりと並んで、忠相の墓は石の柵に囲まれているそうです。浄見寺は『大岡越前』の作中にも登場しています。一度訪れてみたいですね。

2.おおまかなあらすじ

物語の開始は5代将軍・徳川綱吉の時代から始まっています。綱吉といえば「生類憐みの令」が有名。この法律により、江戸の庶民は犬だけでなく鳥や猫といったあらゆる動物を庇護せねばならず、世の中が将軍家に対する不満や恨みでくすぶっている……そんな状況が説明されます。

そうした暗い世の中で赤子を世話している女が登場します。名前はお袖。彼女は武家の若侍である市十郎と身分違いの恋中になり、彼の子を産んだのです。しかし、市十郎は放蕩がすぎると実家に連行され謹慎の身となってしまい、お袖は市十郎に会うことすらかないません。せっかくのツテを辿って市十郎の屋敷に忍び込もうとするも、市十郎の婚約者に見つかり袋叩きにあって捨てられてしまう始末……

一方、そんなこととは知らない市十郎は若き日の冒険と放蕩の日々を悔やむ気持ちもありつつ、しかし再び自由の身になりたいという思いも捨てきれません。とうとう、昔の悪友に誘われて家を飛び出してしまいます。

市十郎はお袖と我が子を追い求めて江戸の町をさ迷いますが、騙されたり利用されたりして、身も心もボロボロの状態です。それでも市十郎は執念深くお袖たちの行方を探し、やっと再会を果たします。しかしその時既に、お袖は悪党の親玉の愛妾に成り下がっていました。お袖は不憫すぎるわが身と我が子の運命を呪い、市十郎に恨みを向けます。市十郎は悪党たちからぼろ雑巾のようになるまで暴行を受ける羽目になり、辛くも逃げ出しますが、その後は道端でお金を恵んでもらって過ごす日々にまで落ちぶれてしまいます。

そんな無為の日々を送っていた市十郎ですが、人生の師匠ともよべる同苦坊というお坊さんに出会います。貧民に粥をご馳走してまわったりと、慈悲あふれる同苦坊の行いを目の当たりにした市十郎は、いつしか彼についてまわり手伝いをするようになります。しばし訪れた平穏な日々、しかし、ある日、粥を配っていた市十郎は思いもかけぬ人物と再会してしまうのです。

そしてこの後、市十郎の運命はガラリと変わっていく……というところで、前半が終了です。

さて、ここまでで大岡越前の「お」の字も出てこなかったわけですが、実はこの市十郎が飛び出してきた家の苗字が「大岡」というのです。市十郎は大岡忠相の幼名。この明日をも知れない荒んだ日々を送っていた青年・市十郎こそが後の大岡忠相だったのです。

後半は大岡越前と呼ばれるまでに出世した市十郎が、自分の職・名誉・命をも賭して世のため人のため、そして愛する者のために奔走する姿が表現されています。後半の市十郎の運命についてはこの後、少しずつご紹介します。

3.深い人間愛を形作った少年~青年期

後の名奉行となる大岡忠相の人格が形成された若き日々がこんなに退廃的で荒んでいたとは……と驚きますが、少し調べてみたところ、そういった史実はなさそうです。作家、吉川英治の想像によるもののようですね。

しかし、大岡忠相に若き日の苦労や江戸の町の闇を見せたことには、十分に意味があることでした。

『大岡越前』の物語が綱吉の「生類憐みの令」に苦しんでいる時代から始まっていることは前述しました。このころの江戸の町の武士階級の仕事は「生類憐みの令」を破った町人を見つけ出し罰を与えるというモノ要は現代で言う警察のようなものですね。しかし、この「生類憐みの令」を破った者に与えられる罰というのが、想像を絶しています。

例えば、市十郎にも関わりの深いお袖という女性。お袖の人生を一変させてしまったのが、この「生類憐みの令」でした。彼女の両親はまだお袖が幼いころに、病気にかかった子供を救うため、燕の黒焼きを与えればいいと教えられ、それを実行します。しかしこの燕もまた、「生類憐みの令」で保護されている動物の一つ。お袖の両親は我が子を救うためにしたその行い、たった一つのために死罪となってしまったのです。残された幼いお袖が一人で生きていけるはずもなく、彼女は身売り同然の身となったのでした。

お袖の他にも、江戸幕府の失政・悪政の犠牲者ともいえる登場人物が『大岡越前』にはたくさん登場します。その多くは市十郎が若き日に遊んだり悪さしたりした悪友たちです。彼らは根っからの悪人というわけではなく、民をかえりみない政治の犠牲となった人々でした。

市十郎が武家の若者として、安泰な日々を送っていたとしたら……お袖に会うことも、悪友たちと悪さをすることもなかったでしょう。そのかわり、江戸の町民たちがなぜ苦しみ、なぜ悪事に手を染めることになるかも、わからないままだったに違いありません。

市十郎こと大岡忠相は身をもって江戸の民の現状を知ることになり、その経験が奉行職についた後の彼の慈悲深さや名裁きの土台となったのです。

前半は苦しいシーンの連続です。読んでいて気持ちが引きずられ辛く感じることもありましたが、それだけの過酷な経験を積んだ後だと知っていると、後半の大岡忠相となってからの彼の後光がさすような立派な姿もグッと説得力を感じます。これがいきなり「大岡越前でござい、平に平に~」とされていたらここまでの納得感はなかったことでしょう。これまでも吉川英治の実在の人物をモデルとした小説は『宮本武蔵』や『源頼朝』を読みましたが、この『大岡越前』は人格の肉付けの仕方が神業です。

4.人の世の理想

大岡忠相が江戸奉行として享保の改革を支えたというのは史実です。彼は火事の多い江戸の町の防火対策や風俗の取り締まりも行いました。これも史実です。

しかし史実は「なぜ」大岡忠相がこれらの政策に尽力したのかということまでは教えてくれません

吉川英治の『大岡越前』はその理由も見事に構築しています。

彼が経験した若き日の貧民としての生活。彼は様々な不幸を経験したわけですが、その中に火事も含まれています。彼は当たりを焼き払う炎の恐ろしさを肌身で感じたことがあるわけです。

さらに当時は風俗の規制もゆるかったのか、武家屋敷の奥や、寺といった神聖視されそうな場所にも夜の闇が入り込んでいたようです。そういった闇の犠牲になるのは大岡忠相にも縁が深いお袖のような無力な女子供です。

そして、そんな無力な女子供を生んでしまうのは、一体誰のせいなのか――?

大岡忠相はこの理由を突き詰めて考え、一つの考えに辿り着きます。

それは「人の世の理想」ともいうべき、壮大な考えです。

どんな理想を持ったのか、これは『大岡越前』のテーマにも関係してきますので、ぜひ作品を読んで確かめていただきたいです。ただ壮大なだけに一奉行職が理想をかがげてもそれを実現することは叶うものではありません。大岡忠相はたった一人ぼっちの人間の非力をよく理解しているのです。己の非力もさることながら、大岡忠相は奉行職についた後、若き日のお袖との関係や過ちをネタにスキャンダルで失脚寸前の身に追い込まれていくという展開までついてきます。本来なら人の世の理想うんぬん言っていられる状況ではないんです。

が、本作の大岡忠相はただの名奉行ではありません。自身の「人の世の理想」を実現するために、彼は実に大胆な行動をとります。己のスキャンダルさえも実は利用したのではないか? という計算高さです。

クライマックスでは大岡忠相は名誉も命も賭けて江戸時代の「タブー」にまで切り込んでいく政治家の鑑のような男として表現されています。

ラストには大きな感動と雨の後に晴れ上がる青空のようなすがすがしさを感じることができますよ。

5.これぞ大岡越前

『大岡越前』には不幸を抱えた人物が多数登場しますが、中でもお袖という女性の人生の過酷さには心打たれるものがあります。

若き日の大岡忠相にはもてあそばれた形となり赤子を抱えて路頭に迷い、その後は悪党の妾にならざるを得なかったという無念さ……

お袖は人生の不幸をすべて大岡忠相への恨みとして生きています。成長した子供にも父である大岡忠相は憎い奴、と吹き込んでしまうほど……その恨みは深すぎて実に憐れです。

彼女は母子で生き抜くために泥棒でも詐欺でも働くような人間になってしまいます。つまり大岡忠相が奉行職につく後半では、彼女は大岡忠相に追いかけられる立場となるのです。

このお袖の身の行方は作中でも大事なポイントになってきます。大岡忠相は彼女を捕らえることができるのか? 捕らえたとして、彼女は裁きの場で大岡忠相になんと言葉を向けるのか……

お袖の言動は実にハラハラドキドキさせられるので、『大岡越前』の面白さを演出している大事な人物です。

しかし、このお袖さん、「なんとかして幸せになれる道はないのか?」という共感を誘う人物でもあります

彼女は元から悪い人間ではないのです。それに不幸の中にありながら、悪党に身をおとしながらも、赤子を立派に愛して育て上げた立派な母親でもあるのですから。

お袖は『大岡越前』のラストシーンにまで登場します。彼女が物語終了後にどんな人生を歩んでいくことになるのかを示唆する、感動のシーンとなっています

最後に一人の母親の苦悩に向き合う流れは、時代劇のイメージでもある慈悲深い大岡越前っぽいラストでした。


いかがでしたでしょうか?

吉川英治の『大岡越前』は時代劇のような勧善懲悪の世界観ではなく、大岡忠相という一人の男の成長記でもあり、人の世の理想を追い求める壮大なテーマをも追いかけ……と、非常にドラマチックな展開の作品です。

吉川英治作品は今回ご紹介した『大岡越前』に限らず、「はずれなし」と言えるほど優れた傑作を世に遺していってくれています。それが今や著作権切れで青空文庫で無料で読めるんです、これを利用しない手はありません。

ぜひ手に取ってみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です