芥川龍之介の『地獄変』を読み解く、全く異なる3つの解釈
元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!
今回ご紹介する作品はこちら↓
地獄変 芥川龍之介 青空文庫で無料公開中
大文豪による中編小説です。
物語の舞台は平安時代。
天才絵師が地獄絵図を描くに際して、
依頼主でもある大殿にとんでもないことをお願いし、
それが大惨劇を招いてしまう……というお話です。
お話自体、凄みも迫力もあってストーリーを追っているだけでも
十分に楽しめます。
しかし、芥川龍之介がただの悲劇を書くわけもなく、
『地獄変』には他にも読み込んでみると面白い要素がたくさんあります。
・芥川龍之介が『地獄変』の着想を得た古典作品とは?
・『地獄変』で表現したかったテーマとは?
・もう一人の主人公ともいえる大殿は名君か、暗君か?
芥川龍之介のような作家の作品は学校の授業のように
「正しく解釈しなくては」なんて思い込んではいませんか?
そんな読み方が必要なのはテストだけです。
読書は読んだ人が、受け取った内容すべてがそれで「正解」なんです。
だから私もここで、堂々と自分なりの解釈を披露したいと思います!
「それは違うんじゃない?」
「そんな読み方もあったのか」など、
一緒に『地獄変』の世界にひたっていただければ嬉しいです。
それでは、あらすじも含めてご紹介していきましょう。
目次 1.『地獄変』の下敷きになった古典作品
2.『地獄変』のあらすじ
3.『地獄変』のテーマとは
4.大殿は名君か、暗君か?
① 大殿が名君バージョン
② 大殿が暗君バージョン
③ すべては語り部の都合のいい話
1.『地獄変』の下敷きになった古典作品
まず、芥川龍之介が『地獄変』の着想を得た古典作品をご紹介しましょう。
鎌倉時代ごろに成立したと言われている『宇治拾遺物語』という、
いろいろなお話を集めた作品集があります。
その中の一編『絵仏師良秀』という作品が『地獄変』の下敷きになっています。
『絵仏師良秀』の内容はこんな感じです。
”良秀というなの絵仏師がいた。
ある時彼の家が火事になり、家の中には製作中の仏絵や妻子が取り残されたままだった。
しかし良秀はそんなことは気にもしない様子で、火事の様子を嬉しそうに眺めている。
変に思った周りの人間が問いただすと、良秀はこういった。
「今まで下手な不動尊の絵(燃えさかる炎を背景にした仏様の絵)を描いてきたものだ。
しかしこれからは上手く描ける。そうすれば家の100などたやすく建てられるだろう」”
とんでもない罰当たりで非情な男ですね^^;
人間の幸せとは一体何だろう? と思わず考えてしまいます。
芥川龍之介はこのごく短い話を膨らませて、
主人公の名前と職業、そして傲慢な性格をそのままに、
『地獄変』を書き上げました。
2.『地獄変』のあらすじ
それでは、今度は『地獄変』のあらすじをご紹介しましょう。
『地獄変』の主人公は良秀という絵師ですが、
物語はすべて、大殿に使える家来の目線で書かれています。
ここでは、「語り部」と仮に呼ぶことにします。
時は平安。大殿という、常識では測れない人がいました。
この人は母のお腹の中にいるころから、
母の枕元に大威徳明王なるすごそうなお人が立つなど、
すごいエピソードに事欠きません。
都の人々を震え上がらせるような怪異をものともせず、
現世のものにも執着を見せず、
自身の身体を切るような手術にも動じず、
豪快というか、型破りな殿さまでした。
この大殿に負けず劣らずすごい人に良秀という絵師がいました。
こちらのすごいは悪口で、良秀はケチで傲慢で容姿も気味が悪いと悪評が高く、
しかし他に並び立つ者がいないほどの絵の腕前の持ち主でした。
彼もまた、大殿とは違ったタイプの天才だったのでしょう。
この良秀、一つだけとても大事にしているものがありました。
それが娘でした。
彼女は大殿のお屋敷に使用人として暮らしており、
良秀と違って美人で愛想も良く、みなに好かれていました。
この娘が、大殿のところで飼われている子猿と仲良くなり
いっそう、大殿からも可愛がられるようになったのです。
大殿は良秀の娘に恋をしているのでは? という噂も流れるほどでした。
良秀は娘を愛するあまり、大殿の屋敷から里帰りさせてやってほしいと
度々訴えては、大殿に断られていました。
そんなある日、大殿は良秀に「地獄変」を描くように命じます。
地獄で行われるエンマ大王たちによる裁判や、
亡者たちが獄卒たちに苦しめられる様子を描く地獄変の製作に
すっかりハマってしまった良秀。
地獄変を描くために弟子を鎖で縛り上げたり、
フクロウをけしかけたりと、やりたい放題。
さらには自らが地獄にいき、そこで何者かと会話しているような
気味の悪い夢まで見ているようでした。
次第に、良秀は起きている間も気が塞ぎがちになっていきました。
そして、この頃、何故か良秀の娘も気が塞ぎがちな様子でした。
大殿に言い寄られて困っているのではないか?
そんな噂が流れていたある夜、語り部は良秀の娘の飼っている子猿に
連れられて、娘が誰かと密会している現場に立ち会ってしまいます。
物音を立てたため、娘の相手は逃げ、娘も誰が相手かは言おうとしませんでした。
その後、良秀が大殿に「地獄変がほぼ完成した」と報告に来ます。
自分で依頼したくせに関心のなさそうな大殿でしたが、
良秀のとんでもないお願いに、気迫を取り戻します。
その願いとは、絵の中心に描こうとしている「燃えている牛車」のために、
車を一つ燃やして見せてほしいというものでした。
さらに、良秀はその中に、一人女をとじ込めておいてほしいと言い出すのです。
大殿はこれを快諾し、ついに、実行する日がやってきます。
人里離れた不気味な場所に、車が1台、用意されました。
大殿、良秀、そして大勢の家来たちが車を囲んでいます。
大殿は良秀に噛んで含めるように、
「中には罪人の女が一人、鎖でつながれている」と言います。
「それでは良秀に車の中を見せよ」という大殿の言葉で、
車の中が見えるようになり、そこにつながれていたのは良秀の娘だったのです。
思わず駆け寄ろうとする良秀、しかし火が放たれてしまいました。
もはや助けることはかないません。
この世の苦しみを一身に背負ったように固まる良秀。
と、そこに火に向かって何かが飛び込みました。
娘の飼っていた子猿です。
そして良秀は何故か威厳すら感じるほどに燃えさかる火を見つめ、
反対に大殿は青ざめていったのです。
大殿がなぜ良秀の娘を犠牲にしたのか、それは良秀が絵の完成を求めるままに
誰かを犠牲にしようという無慈悲な心を正そうとしたからだ、と
語り部は大殿自身の口から聞いたそうです。
その後、良秀の地獄変は大傑作として世の名声を得ます。
しかし、彼はその頃には既に自らの手でこの世の人ではなくなっていたのです。
少し長いですがお読みいただきありがとうございます。
どうでしょう? 実際の作品は芥川龍之介の美しい日本語により
凄みと迫力がマシマシで伝わってきますよ。
3.『地獄変』のテーマとは
お話を読んでいるだけでも面白い『地獄変』ですが、
この作品にはテーマがあるとされています。
それが、「芸術至上主義」です。
作中、良秀はこの世で最も大事にしていた娘を犠牲にしてまで、
地獄変を描き上げ、大傑作として世に送り出しています。
芸術の前にはどんな犠牲もいとわずに、最高の芸術を目指すべきである、
というのが「芸術至上主義」の考え方ということでしょう。
テーマを踏まえて読み返してみると、良秀は地獄変を描き始めた直後に、
「何かを犠牲にしなければ地獄変は最高傑作にはならない」と
思い当たっていた節があります。
それが、彼が見ていた気味の悪い夢や気が塞いだ様子に表れています。
良秀が見たという気味の悪い夢は、彼の寝言でしかその内容はうかがいしれません。
しかし良秀はどうやら夢の中で地獄にいき、
そこにいる誰かと話しているらしい様子がわかります。
その何者かは、良秀に「地獄の底まで堕ちてこい」と誘い、
その奈落の底にいるのはなんと「良秀の娘」らしいのです。
最愛の娘を失わなければ生きたまま地獄に行くことはかなわない、
そんなことを暗示している夢のように思えます。
製作が進むにつれ、起きている時にも気が塞がっている様子を見せたのは、
いよいよ、娘を犠牲にしなければ地獄変は完成しないと、
良秀自身が思い知るようになったということではないかと思います。
そして、実際に燃え盛る炎を見て、最初はとてつもない苦しみに固まっていた良秀が
途中から威厳すら感じさせるようになっていったのは、
生きたまま地獄に行ったかのような苦しみを味わったために、
「これなら描ける!」と、最高の芸術品、地獄変に手が届いたことを
良秀が確信したためではないでしょうか。
下敷きとなった『宇治拾遺物語』の『絵仏師良秀』でも
妻子までもが火事の中に取り残されているのに嬉しそうにしていた様子と、
『地獄変』の良秀の様子はかぶっていますよね。
しかし、『地獄変』の良秀はやはり娘を犠牲にした悲しみや呵責からは
逃れられなかったのか、自ら世を去っています。
これを良秀の中に良心が残っていた救いととるか、
芸術の前の絶望ととるかは、読む人次第といったところでしょうか。
さて、こんな感じで、良秀の解釈は、あまり異論がないのではないかと思います。
問題は大殿の方です。
4.大殿は名君か、暗君か?
このブログではネタバレ防止のため、あらすじはおおざっぱにしか
書かないことが多いです。
それがたとえ、青空文庫のような著作権切れをしている作品であっても、です。
ではなぜ『地獄変』は事細かに書いたかというと、
もう一人の主人公ともいえる大殿の解釈を一緒に考えてみてほしかったからです。
大殿は、冒頭では語り部の評価は上々で、いい意味で類まれなる人物であるとして
表現されています。
しかし、物語が進むにつれ、「おや?」と思う部分が出てきます。
・なぜ良秀に「地獄変」を描くように命じたのか
・良秀が「地獄変が間もなく完成」という報告に関心がなさそうだったのか
・良秀のとんでもないお願いに気迫を取り戻すのはなぜか
・なぜ燃える車の犠牲者に良秀の娘を選んだのか
・なぜ燃える車を見ながら青ざめたのか
これらの問いに答えるには、「大殿がどんな人だったのか?」を
考え詰める必要がありました。
ザックリ言えば、大殿は名君か、暗君か、で解釈がかなり異なってくると思います。
ここでは大殿が名君バージョン、大殿が暗君バージョンの両方を
考察してみたいと思います。
そして、あともう一つ、私なりの「こんなんもあり得るのでは?」というのを
おまけの3つめにつけさせていただきました。
① 大殿が名君バージョン
まずは大殿が名君だと解釈する場合です。
これが1番素直な受け取り方かと思います。
なんて言ったって、語り部自身がそう言っていますからね。
5つの疑問に答えを出していってみましょう。
・なぜ良秀に「地獄変」を描くように命じたのか
良秀の傲慢さをたしなめようと、実際に見ることのできない題材を選んだ。
・良秀が「地獄変が間もなく完成」という報告に関心がなさそうだったのか
こらしめようと思っていたのに「完成できる」と聞かされ拍子抜けした。
・良秀のとんでもないお願いに気迫を取り戻すのはなぜか
当初の目的をとげられるのでは、という望みがでてきたから。
・なぜ燃える車の犠牲者に良秀の娘を選んだのか
己の望みのために、誰かの命を犠牲にしようとしたのを戒めるため。
・なぜ燃える車を見ながら青ざめたのか
良秀が娘を犠牲にしてもなお、芸術の高みへとのぼるのに圧倒されたため。
このように大殿を素直に名君だと解釈しても、きちんと作品の意味は通ります。
しかし、一部、釈然としない部分も残ります。
それが、良秀の娘に関する描写です。
例えば、地獄変を製作中に「なぜ娘まで気が塞ぎがちになったのか?」
「娘の密会相手は誰だったのか?」
「大殿が彼女のことを罪人と言ったのは何故だったのか?」
これらの問いも、答えられないことはありません。
彼女が大殿の家来の誰かに恋をするかされるかして、
大殿にとってはそれは自分の家の中を乱されることで気に入らなかった、
という解釈が成立します。
しかし、ここで大殿が暗君であった、という前提に変えて考えると
この部分はスッキリするのです。
② 大殿が暗君バージョン
大殿がすごい人であった、というのは語り部の主観でしかありません。
そしてこの語り部、読んでいくとわかるのですが
少し信頼が置けない人物だという印象を受けます。
作品はすべて、語り部目線で進んでいくのですが、
途中には「人から聞いた話」がけっこう入ります。
語り部さん、人のうわさが好きなんですね。
平安の時代、それくらいしか娯楽がなかったのだろうと
想像できなくもないですが、えてしてうわさ好きな人というのは
あまり信頼しにくいと思うのですがどうでしょうか?
さらに、語り部の話に信頼が置けないとすると、
大殿に関する評判はどうなるでしょう?
もしかしたら大殿は名君ではなく、事実は正反対だったのでは?
という仮説がでてきます。
さらに、語り部は冒頭で大殿をヨイショするにとどまらず、
作中で繰り返し、大殿を「とある噂」からかばうような
記述をしています。
それが、大殿は良秀の娘に恋をしていたのではないか、というものです。
語り部は作中、繰り返し「そんなことはありえない」とこの疑惑を否定します。
繰り返すので逆に「本当は違うんじゃないの?」と思われるくらいです。
もし大殿が良秀の娘に恋をしていたとしたら、
良秀の娘が夜中に密会していた相手は大殿、その人であったのかもしれません……
そして、大殿はなかなか実らない恋に可愛さ余って憎さ百倍の境地に至ったのかも……
これを前提に考えると、名君バージョンでも考えた問いの答えが
がらりと変わってきます。
・なぜ良秀に「地獄変」を描くように命じたのか
これは名君バージョンと同じ、 良秀の傲慢さをたしなめようと、
実際に見ることのできない題材を選んだからでもいいですし、
シンプルに娘の父親に嫌がらせをしようと思ったからとも考えられます。
・良秀が「地獄変が間もなく完成」という報告に関心がなさそうだったのか
良秀を困らせてやろうという思惑が外れてがっかりしたから。
・良秀のとんでもないお願いに気迫を取り戻すのはなぜか
うまくいかない恋心の復讐を思い立ったからではないでしょうか。
・なぜ燃える車の犠牲者に良秀の娘を選んだのか
失恋の八つ当たりですね。
・なぜ燃える車を見ながら青ざめたのか
失恋して憎しみまで感じていたとはいえ、愛する人をむごたらしく殺してしまい、
後悔していたのではないでしょうか……
名君バージョンとは全く違いますね。
大殿はカリスマ性も感じられない普通の人間として浮かび上がってきます。
ここまで書いておいてなんですが、これなら名君バージョンの方が
解釈としては面白いなと思います。
そして、ここからが私の妄想力を総動員した「こんなんもあ得るのでは?」
という第3の解釈です。
それは、語り部が信頼ならない人物だ、という解釈から生まれました。
③ すべては語り部の都合のいい話
大殿が暗君バージョンのところでも書きましたが、
作品の語り部さんが信頼できる人物なのかどうか? が
解釈の分かれ道になります。
語り部が、大殿の人物像や良秀の娘への恋心を正反対に伝えたのではないか
という解釈は大殿が暗君バージョンで考察しましたが、
ここではグッと踏み込んで、このお話全部まるっと、
語り部の都合のいいように編集されていた話だった、と
考えてみたらどうなるでしょうか?
大殿はすごいと持ち上げつつ、
大殿が良秀の娘に恋をしていたのではないか、という疑惑を読者に植え付け、
繰り返し否定することで「もしかしたら本当なのではないか?」と
さらに疑惑を煽ります。
そして娘の夜中の密会を目撃して嫉妬に狂った語り部は
あろうことか大殿に「彼女はこの屋敷の風紀を乱している」と
密告すらしたのではないでしょうか。
大殿はだから「良秀の娘=罪人」として火にかけることを決意した、
という解釈が成立します。
もっと言うなら、娘の密会相手は語り部本人だったかもしれません。
娘に愛を告げるもすげなく断られ、憎しみを抱いた彼は
作品に書いてあったような捻じ曲げた事実を作り上げ
大殿に密告をした……というなんとも恐ろしいサイコパスのような
行動をとっていたとしたら!
怖いですね。
作品で語っている本人が何もかも正直に書いているという思い込みを
失くしてみると、こんな猟奇的な話にもなってしまうのです。
いかがでしたでしょうか?
いろいろ書きましたが、最後の仮説は自分でもなかなか
ぶっ飛んだ仮説を思いつけたのではないかとニヤニヤしています。
まあ、実際のところは芥川龍之介の頭の中をのぞいてみないと
絶対に正解はわからないわけですし、
そもそも正解を求める必要もありません。
いろいろな解釈を考え、作品に向き合ってくれるなら
芥川龍之介もきっと本望だと思ってくれる……と信じましょう(笑)
こんなふうに、作品を自由に解釈して楽しむのも
読書の醍醐味です。
思いきった妄想をして、読書をもっともっと楽しみましょう!
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。