読書感想|自分も頑張ろうと思える文章です(放浪記・林芙美子)

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今回ご紹介する作品はこちら↓

放浪記 林芙美子 青空文庫で無料公開中

若い女性が貧乏のどん底にいながらも、日々を逞しく生き抜いていく、

人間の生きる力の強さを感じさせる小説となっています。

しかも、小説の内容は虚構ではなく、作家自身の半生を語った自伝的内容のものです。

凛として、清貧な気品すら感じさせる女性像を描いた林芙美子さん、どんな方だったんでしょう?

青空文庫で公開中ということは、作者は50年以上前に亡くなっていますので、

恒例の作家の生涯と共に、作品をご紹介していきたいと思います。

目次
 1.林芙美子の生涯
 2.林芙美子の旅に出たい
 3.放浪記はこんな話


1.林芙美子の生涯

生年はおそらく1904年、誕生日、誕生の地は下関とも北九州市門司区とも言われています。

ところが、出生届は1903年、鹿児島市となっています。

生年も出生地も曖昧なんですね。

理由は彼女の複雑な生い立ちにあります。

母親と実父の間に生まれたのですが、実父は各地を動き回って商売をする行商人であり、

芙美子の認知をしませんでした。

そのため、母の叔父が芙美子を戸籍にいれることになり、その時の届け出内容が

1903年、鹿児島市というわけなんです。

しばらく母子は実父のもとにいたようなのですが、実父の浮気を機に出奔し、

養父と共に北九州市の炭鉱町を行商して回ることになります。

それに伴い芙美子は小学校も転校を繰り返し、やっと卒業できたのは

普通より2年遅れ、尾道市でのことでした。

尾道氏の小学校では彼女の文才を早くから認め、勉強するようにと薦めてくれた

恩師・小林正雄と出会っています。

小林先生の薦めもあり、尾道では女学校にも通い、

そこでは後々まで交友の続く親友とも出会ったようです。

この頃から詩や短歌を書くようになり、新聞にも投稿を始めています。

その後、芙美子は恋人・岡野軍一を追って上京しますが、恋人には振られ、

岡野軍一は尾道に帰ってしまいます。

東京に残された芙美子は様々な職を転々と渡っていきます。

関東大震災を経験し一時田舎に戻るも、再び上京し、職も恋人もコロコロ変わる

落ち着かない日々を送っています。

この頃よりつけ始めた日記が、今回ご紹介する『放浪記』の原型となります。

職と恋に恵まれない日々を過ごしていた芙美子にも、転機が訪れます。

1923年、画学生の手塚緑敏(まさはる、通称りょくびん)との結婚です。

彼は妻を大事にする男だったようで、芙美子の執筆活動を助けます。

そして執筆業にも評価を受け始め1928年から『放浪記』の連載が開始、

これが大ヒットとなります。

流行作家となった芙美子は積極的に国内外を動き回り、中国、イギリス、朝鮮、シベリア、フランスと

渡航し、現地での紀行文を記しています。

1935年、これまでの自伝的作風から離れたオリジナル作品『牡蠣』が評価されます。

日本が戦火に身を投じるようになると、彼女もシンガポールなどに従軍して執筆活動を行いました。

が、戦況の悪化にともない長野県に疎開します。

戦後はまた旺盛に執筆活動を行い、原稿依頼を断らない作家としても有名だったようです。

しかし、無理がたたったのか1951年、心臓麻痺により急逝、47歳の若さでした。

2.林芙美子の旅に出たい

林芙美子は両親の職業の影響で、様々な地を渡り歩く幼少期を送っていました。

そのためか、彼女の名前を刻んだ文学碑や記念館がたくさんあります。

林芙美子の名前を追っかけるだけで旅行日程が組めそうなほどです。

少しご紹介していきましょう。

まずは自称の生誕地、下関から。

ずばり、生誕の地と称して下関市田中町林芙美子生誕地の碑があります。

また、下関市立名池小学校前には文学碑が建てられています。

そして、最近の研究で生誕の地候補となっている北九州市門司区の門司港駅近

林芙美子記念室があります。

自筆の手紙や原稿など、多数展示されているそうです。

本籍地である鹿児島では古里公園(桜島近辺)に林芙美子文学碑があります。

彼女が生前よく口にしていた「花の命は短くて苦しきことのみ多かき」と刻まれているそうです。

そして、林芙美子が最も愛着を感じていたであろう尾道にも彼女にまつわる場所が残っています

千光寺山の文学のこみちには25人もの文豪の文学碑がありますが、林芙美子もその中の一人です。

放浪記より一節が刻まれています。

正岡子規や松尾芭蕉などの文学碑もあるそうなので、読書好きにはたまらない場所ですね。

さらに林芙美子の母校であり、彼女に執筆を薦めた恩師である小林正雄と出会った尾道市立土堂小学校

恋人であり、上京してまで追いかけていったものの振られてしまった岡野軍一との思い出の地・うず潮橋

林芙美子像尾道駅近に建てられています。

また、小説『うず潮』を執筆したお宿・諏訪長野にあります。

彼女の直筆の手紙など、ゆかりの品が展示されています。

ホームページもあり、雰囲気を知ることができるのですが、旅先でのんびりとした気分を味わえそうな

趣のあるお宿のようです。行ってみたい。

最後に、林芙美子が最後の10年間を過ごした本拠が新宿にあり、現在林芙美子記念館となって

見学できるようになっています。

私は文豪ゆかりの地に足を運ぶのも好きなのです。

なんだか文才が宿るような気がしませんか?笑

御利益があるかはともかく、どんな場所で執筆されていたのか、感じ取ることは文章を読むうえでも

大変参考になると思います。

場所については以上なのですが、林芙美子さんは今現在でも、その肉声を聞くことができます。

NHKの人物録アーカイブスに掲載されており、生前のインタビュー、そして女学生との

やり取りが数分ですが聞けるようになっています(無料です)。

文章などからハキハキとしたお声を想像していましたが、優しいおばさんの声でした。

彼女なりの人生訓も録音されていましたので、記しておきます。

 「泣かなきゃいい人間にはなれない 泣いたことのない人間は いやらしいし こわいし つまらない」

貧乏や失恋に涙したであろう林芙美子の若いころを思うと、恨むのではなく、全てを糧にして

執筆活動に勤しんでいた後ろ姿が想像できるようです。

また、北九州市主宰の文学賞もあり、林芙美子文学賞(2020年は第7回、締め切り済)として

2015年から作品が募集されています。

中・短編の小説作品が対象ですので興味のある方は北九州市HPをご覧ください。

3.放浪記はこんな話

いよいよ林芙美子の代表作であり出世作である『放浪記』の内容をご紹介していきます。

林芙美子の執筆初期は自身の体験をもとにした自伝的作品を書いており、『放浪記』はその代表格です。

人生で言うと生まれてから20代前半のころまでについて書かれており、メインは尾道で出会った

岡野軍一を追って上京してからの記述になります。

『放浪記』を執筆するための下敷きになったという日記も、岡野軍一との別離のころから

書かれていますので、自然、筆も乗ることになったのでしょう。

内容も小説を読んでいるというより、日記体で書かれたエッセイを読んでいる感覚でした。

 「〇月〇日 今日もお金がなく寝てばかりいる……」といった感じです。

岡野軍一と別れてからの芙美子は失恋の苦しみあり、貧乏あり、定職にも恵まれないという

辛い日々を送っていたようで、本文中にも「一度でいいからお腹いっぱい食べてみたい」と

日々の切実な事情を訴えている文章が散見されます。

加えて男運もこの頃はなかったようで、恋人も定まらず、血迷って尾道にUターン就職していた

岡野軍一に会いに行ったりもしています。

こう書くと 読んでて楽しい文章なのか? と疑問に思われる方もいらっしゃると思うのですが、

記述内容は貧乏にあえぎ、孤独に沈んでいても、不思議と思い詰めた様子ではなく、

恨み言もどこかカラッとしていて清々しいです。

幼少のころより苦労を重ねてきたであろう林芙美子は、根明な性質だったのでしょうか。

彼女自身も貧乏なのに、他に苦しんでいる友人がいればなけなしの金でおごってやったり、

金持ちの妾におさまってしまった年下の友人のために本気で涙するなど、

清貧ともいえる正義感、義侠心のようなものが垣間見えます。

貧乏でも孤独でも、プライド高く生き抜く一人の女性の逞しさが伝わってきて、

読んでいて辛いどころか、勇気をもらえるような文章になっています。

それなりに長い小説ですが、日記形式で短く区切られていますので、毎日少しずつ

読み進めていけますし、それが苦にならない文章でもあると思います。


いかがでしたでしょうか。

林芙美子の作品は他にも多数青空文庫に収録されており、『浮雲』『晩菊』などの

他の代表作も読めるようになっています。

ぜひ読んでみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

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