化け物に出逢いました『BUTTERバター』読書感想
こんにちは、活字中毒の元ライター、asanosatonokoです。
今回ご紹介する本はこちら
BUTTERバター 柚木麻子 新潮文庫
本作が発表された当初、各方面から絶賛する声があがっていました。
傑作、名作、内容にしびれる、エトセトラエトセトラ。
今私の手もとにあるのは文庫本化された年に購入したもので、本を購入させるための煽り文句が書かれている、いわゆる「帯」がついています。
そこに書いてある文章を一部抜粋しましょう。
殺人事件を熱かったノンフィクション・ノベルの名著として……
確かに、この作品、とある現実の事件をベースにしてあることは間違いありません。その当時、社会人として多忙だった私は実は事件をリアルタイムで視聴した記憶はないのですが、2009年、日本で起きた詐欺・殺人事件です。
そのことを受けて「ノンフィクション・ノベル」と、この文章を帯に寄稿された方は述べられたのでしょうが、この言葉、実際に作品を読んでみるとかなり誤解を招く言葉のチョイスだと思います。
実際の事件はベースになっている。しかし、本作はそこから生まれ出た全くの別物、化け物である……
私がおこがましくもリライトするならこう書くでしょうか(本当におこがましいな……)
しかし「名著」であることは大きく同意です。
それでは、本作の化け物っぷりをあらすじと感想をまじえながらご紹介していきましょう。
1.簡単なあらすじ
まずは簡単なあらすじからご紹介しましょう。
主人公は雑誌記者である町田里佳という女性です。
年齢は30歳前後。今はもう死語かもしれませんが、昔で言う「結婚適齢期」というお年頃です。
学生時代からの大親友である伶子は既に結婚し、妊活のために仕事を辞めています。里佳は幸せそうな伶子の姿を見ると自分も幸せを感じつつ、本当のところは複雑な感情を抱いています。
一応里佳にも恋人、誠がいます。彼は同じ出版社の別部署に勤める同期で、一緒にいて気が楽な相手ではあるけれど彼との未来を思い描けるかというと……?
雑誌編集の職場は男性ばかりで、女性は里佳のみ。これまで多くの女性が結婚や出産を機に、職場を離れるところを里佳は見てきました。
プライベートも、仕事も、順調といえばそうだけど、どこか拭い去れない不安や違和感を感じる……
それが物語開始時点の理佳の状況でした。
雑誌記者である里佳の仕事はスクープや特ダネを狙うこと。里佳が目を付けていたのは巷を賑わせた女詐欺師・梶井真奈子でした。
梶井真奈子は何人もの男性と付き合い、お金を奪った結婚詐欺師であり、彼女に関わった男性数人が不自然な事故・自殺を遂げていました。
逮捕され裁判を待つばかりの身となっている梶井真奈子に、里佳はなんとか独占インタビューを取り付けたいと何通も手紙を書いていましたが何の反応もなく、半ば諦めモード。
そんな里佳にアドバイスをしたのは親友の伶子でした。
「梶井真奈子は料理好き。なら、レシピを教えて、と伝えてみたら?」
梶井真奈子は料理が好きな美食家であり、自分の作ったもの、食べたものを書き散らしたブログも持っていました。
里佳は伶子譲りの意外なアプローチを取り入れ手紙を送ると、梶井真奈子から初めての返事がきました。
「記者はお断りだったけど、あなたになら会ってもいい」
里佳はさっそく梶井真奈子に面会し、彼女の内面に迫ろうとするのですが……
梶井真奈子は里佳の手に余るほどの化け物っぷりをみせつけてきたのです。
2.化け物・梶井真奈子
里佳と梶井真奈子が出会い、物語は大きく動き出します。
この梶井真奈子、作中は逮捕中の身の上なので、里佳との面会はアクリル板越しなのですが、そんな壁をたやすく乗り越えるだけの強烈なインパクトを持つ女性として登場します。
まず、世間一般に「女の結婚詐欺師」と言われたらどんな女を思い浮かべるか、ちょっと考えてみてください。
たぶんですが、美人、スタイル抜群、あるいはアイドルみたいな可愛い女の子を想像した方が大多数ではないでしょうか。
しかし、梶井真奈子はそんなイメージからは少し、いや、かなりかけ離れています。
標準体重を大きくオーバーしているであろう肉体、そして決して美人とは言えない容貌……梶井真奈子は世間一般の「美人」のイメージから大きくそれています。
それなのに、何人もの裕福な男性が彼女のトリコになり、大きな金額を彼女に貢ぎ、挙句の果てには不審死を遂げている……
梶井真奈子の何が、男たちを狂わせたのか? 里佳でなくとも知りたくなろうというものです。
まず見た目からインパクト大な梶井真奈子ですが、口を開けばさらなる衝撃が里佳を襲います。
梶井真奈子、ものすごく自己肯定感が高いんです。
なんというか、全てを自分に許している感じなんですよね。
もしこの記事を読んでいるあなたが女性なら、ちょっと自分に聞いてみてください。「夜中にラーメン、食べられますか?」 しかも、バターのかけら2つトッピングです。
若いころだったら「はい」と答えたかもしれません(私の場合、それでも20歳が限度だ)。今は力強く「ノー!」です。食べたらヤバい。っていうか、たぶん食べようとも思えない(年取るってそういうこと)。
しかし梶井真奈子は迷わず「食べる」と答えるでしょう。0コンマ0秒で。
「太っちゃう」「健康に悪い」「明日のことも考えなきゃ」人によって理由はさまざまでしょうが、夜中のラーメンを回避した方がいい理由は見つかりますが、梶井真奈子は気にしない。
私は食べたいものを食べたい時に食べる。
いやー、この信念、羨ましい(笑)とても真似できません。多くの女性が世間体やらなんやらを気にしてやらないことを、梶井真奈子は楽々と越えてくるんですね。
この梶井真奈子の生き方には、初対面の里佳もガツーン、と衝撃を受けてますます梶井真奈子に興味を抱いています。
「どうしたらこんな風に生きていられるのだろう?」
梶井真奈子と事件の関係も気になりますが、梶井真奈子という女自体が謎めいてその心の奥底をどうにかして覗いてみたくなる……そんな不思議な魅力を持った人物造形になっています。
そして、里佳と梶井真奈子とのアクリル板越しの探り合いが始まるのですが……
ここからが、化け物・梶井真奈子の本領発揮でした。
いや、ここまででもけっこう化け物じみているんですけど、この先の展開はしばらく梶井真奈子の独壇場といっていいものになるんです。
なんとか梶井真奈子の気をひいて取材をしたい里佳の心を見抜いて、梶井真奈子はあれやこれやと注文をつけてきます。
初対面の時のリクエストは「バター醤油ご飯を食べろ」というもの。
アツアツの炊き立てご飯の上に、冷蔵庫から取り出したばかりのバターをのせて醤油をひとかけ……溶け切らずに触感が残るバターをかじってご飯を口に放り込む……前歯に残るバターの硬さとそれが舌の上で溶けてご飯と混ざり合って口の中いっぱいに広がっていく幸せ……
しかも、梶井真奈子が指定したのは一塊1000円以上する高級バター。
もう絶対美味しいヤツじゃん……
思わぬ飯テロに遭遇し食欲を刺激されたのは私だけじゃないようで、作中の里佳も夢中になってご飯をかっこんでいました。
このバター醤油ご飯のくだりは里佳の仕事が終わった後の、時刻はもう夜中のシーンです。梶井真奈子に出会う前の里佳なら食事すらしたか怪しい時刻です。ましてやバター醤油ご飯なんて、絶対に候補にすら挙がらなかったはず。
たった一度の面会で、里佳がそれまで守り続けていた「何か」が崩れたことがわかる瞬間でした。
ここから、どんどんと梶井真奈子は里佳にリクエストをし続けます。
「あの店で食事をしろ」「何か美味しいものを食べて感想を持ってこい」
梶井真奈子の要求は「食」に関するものがほとんどですが、忠実にそれをなぞろうとする里佳はもう、彼女の奴隷のよう。それまで人並にルックスを気にしていた里佳ですが、次第に体の線も崩れ、周りから心配されるほど。
そしてそんな里佳を見て、親友の伶子や恋人の誠も「何かがおかしい」と、変貌していく里佳を通して梶井真奈子の影響を感じ取っていくようになります。
梶井真奈子の影響力、恐るべし。アクリル板越しに「食」の話をしているだけなのに、何人もの人間の人生観に影響を与えています。
昔の小説に登場した「ハンニバル・レクター」を思い出しますね。ハンニバルも、牢屋越しの面会にも関わらずヒロインや看守たちに多大な影響を与えていた化け物殺人鬼でした。
梶井真奈子はハンニバルよりは可愛らしいところがあるけれど、その化け物っぷりはなかなかです。
ちょっと小話
ハンニバル・レクターという殺人鬼が登場する小説についてご紹介しておきましょう。
彼が初登場するのは『羊たちの沈黙』という作品です。映画化もされ、ハンニバルを演じたアンソニー・ホプキンズとヒロイン役のジョディ・フォスターは共にアカデミー賞を受賞しています。映画の方がむしろ有名かもしれませんね。
ハンニバルは優秀な精神科医でありながら、その裏で何人も殺害してきた殺人鬼です。『羊たちの沈黙』の物語開始時点では逮捕されており、特別な牢屋に収監されています。
そこにヒロインでありFBI捜査官であるクラリスが、迷宮入りしかけている連続誘拐殺人事件についてヒントをもらうためにやってくるのです、が。
ハンニバルは一目でクラリスが抱えている亡き父との関係性の問題を見抜いてしまいます。そして彼女に事件解決のヒントを与えつつも、彼女の精神に揺さぶりをかけて弄ぶという……梶井真奈子が可愛らしく思える、こちらは本物の化け物です。
ハンニバルとクラリスが、奇妙な信頼関係を築いていく過程は緊張感がありつつ、どこか恋愛関係を彷彿とさせてそう言う意味でもドキドキします。
ハンニバル・レクターが登場する小説は全4作あり、少々読みづらい文章ですが面白いシリーズです。
『レッド・ドラゴン』 ハヤカワ文庫 『羊たちの沈黙』 新潮文庫 『ハンニバル』 新潮文庫 『ハンニバル・ライジング』新潮文庫 (作者、トマス・ハリス)
3.現実の事件との関係
ここで、少し内容からは離れて、本書が話題を呼んだ理由の一つである、現実の事件との関係に触れておきたいと思います。
多くの男と関係を持ち、結婚詐欺や殺人で逮捕・起訴された梶井真奈子ですが、彼女のモデルとなった人物として木嶋佳苗という女性が浮かびます。
木嶋佳苗は既に裁判も終了し、死刑の実刑判決を受け、今も執行を待つ日々を送っています。
犯したとされる罪の内容もよく似ていますが、作中で明らかになる梶井真奈子の半生も木嶋佳苗によく似ており、梶井真奈子という化け物的登場人物が木嶋佳苗をモデルにしていることは明らかでしょう。
冒頭にも書きましたが、私は現実の事件が報道されていた当時、仕事に忙殺されていた状態だったので、ニュースやワイドショーはほとんど見ていませんでした。なので完全にうろ覚えなのですが、そう言えばネットニュースなんかで、逮捕直後の木嶋佳苗の容姿などが話題になっていたなあ、という印象があります。
ここまでよく似ている両者ですが、少し好奇心が起こります。
実際、両者はどれくらい似ているんでしょう?
というか、作者さんはどこまで梶井真奈子という登場人物を実在の人物に寄せたのでしょうか?
木嶋佳苗は獄中から本を出版していますが、そちらではなく、彼女の裁判を傍聴した方のルポを読ませていただきました。
ちょっと別冊をご紹介
毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記 北原みのり 朝日新聞出版
内容はタイトル通りで、著者が木嶋佳苗被告の裁判を傍聴して、その様子と感想が書かれています。
BUTTERと読み比べると明らかになるのは、木嶋佳苗 ≠ 梶井真奈子であるということです。
2冊を読み比べて、木嶋佳苗と梶井真奈子の差はざっと以下の通りです。
異なるところ
- 木嶋佳苗は有罪確定、梶井真奈子は裁判中であり容疑内容は限りなく黒に近い灰色。
- 木嶋佳苗よりも梶井真奈子の方が自己肯定感が低く幼い印象。
- 出身地が異なる。
- 家族構成が異なる。
よく似ているところ
- 妹と仲が良く母親と折り合いが悪い。
- 美食家である。
- 料理教室に通っていた。
- ブログを持っていた。
- 獄中結婚し自伝を発表した。
こうして列挙してみると、細かい要素を現実から採用しつつ、梶井真奈子の性格は作者オリジナルであることが分かります。
ちなみに、『毒婦。』の感想ですが、やや被告に感情移入しすぎな描写で女性はともかく男性にはお薦め致しません…
4.読後、〇〇〇〇した方へ
この記事を読んでくださっているあなたは既に『BUTTER』を読んだ後でしょうか? それとも前でしょうか?
基本的に「この本がおススメだよ!」という主旨で書いているブログなので、読む前の方が多いことを前提に書いていますが、ここではちょっと脱線して、既に読んだよという方へ向けて書きたいと思います。もちろん、読む前の方に読んでもらっても大丈夫です。
さて、読み終えた皆さん、この本、少しモヤりませんでしたか?(笑)
「ここで終わりかーい」とか「結局何が言いたかったんだ?」となった方、いませんでしょうか?
もしいらっしゃったら、はい、私も仲間です(笑)
いや、冒頭に名著と書いたくせに……なんですが、この本、いろいろ考えさせられると思うんですよ。生き方とか、世間というものからの圧力とか、男女関係とか、同性の友人との距離感とか……
これだけいろいろな「問い」を突き付けてくる本というのは昨今では珍しいですよね。なんてたって、今の流行りは「キャラもの」です。カッコかわいい見た目で個性的な内面を持った登場人物たちが繰り広げる物語がウケています。
その中でじっとりと重い荷物を読む側に預けてくる本書は間違いなく「名著」です。
ただ、それだけに読後はスッキリとはいきません。
最後はハッピーエンドっぽくまとめていましたが、主人公の里佳を始めとして登場人物たちの明日は明るく…はなさそうです。
むしろ「これからもたっくさん、いろいろと迷い、悩み、窮地に立たされることがあるんだろうな」ということを予感させもします。
そう、この小説、主人公たちの問題がすべて解決して終わるわけではないのです。
たいていの小説は主人公たちは「敵」を倒して終わる中、これはけっこう異色です。(敵は殺人犯やテロ組織、ライバルに限らず自分の悩みとかも含め)
しかし突き詰めて考えれば「人生の中ですべての問題が解決!明日から私、無敵!」になること自体がほぼあり得ないとおもうので、『BUTTER』の方がよりリアルに現実を表現していますよね。
そりゃモヤるわ(笑)
さらに本書のモヤりポイントを明かすなら、梶井真奈子の取り扱いについて少し私見があります。
そもそも、梶井真奈子の存在、最後は霞んでやしないでしょうか?
結局、彼女が黒だったのか白だったのか、そして犯行動機は? その他いくつも浮かんでくる梶井真奈子への好奇心は、けっこう放っておかれたまま、終わってしまった感があります。
「ノンフィクションノベルじゃなかったんかい!」とぼやいてしまったのは私だけでしょうか?
もうちょっと犯人の内面に迫らないと、というか本書の中で作者の独断でも一つの答えを出さないと、ノンフィクションノベルとしては物足りないというか「何が言いたかったん?」で終わってしまいます。
これに関しては、まあ、作者さんは『BUTTER』をノンフィクションノベルとして書いていなかったのではないか、と思うので、煽り文句のリードミスということでしょう。本にはよくあることです。
それにしても、男を狙った犯罪者である梶井真奈子という存在をぶち上げたのに、本書でメインテーマになっているのは「男女間」の問題ではなく「女同士」の問題だっていうところが私には意表を突かれたところなんですが、皆さんはどうだったんでしょうか?
男を狙う犯罪なら、素直に考えると過去に男への恨みがあって、とかになりそうですけど、梶井真奈子に限ってはそういうわけでもなさそうです。
むしろ、彼女の怨嗟の矛先は女性の方を向き続けているという気がします。
しかしこれは里佳と伶子の親友というよりは恋愛感情に近い関係を考えれば、あながち女同士の友情がテーマだったとは言えないのかもしれない……(里佳と伶子の関係にはいろいろな見方があると思います。恋愛感情に近いと感じたのはあくまで私の主観ですので疑問を感じられた方はすみません…)
とまあ、読み終わった後も答えの出ない問いをぐるぐると追いかけて『BUTTER』について考えております。作中に登場するバターになった虎みたいですね。
これだけ読者をモヤらせる『BUTTER』、そしてそれを書いた柚木麻子さん、あなたが本物の化け物かもしれない。
いかがでしたでしょうか?
BUTTERは昨今流行りのキャラクター系ライトノベルとは違い、ずしりと重い作品です。
読了後に元気が出てくるようなストーリーでもありません。
しかし、その分読み込みがいがあり、2度、3度と再読するに耐えられる深みを持っていると思います。
まとまった時間のある時に読むのがおススメです。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。