面白おかしく、そして重いテーマも含んだ読みやすい古典『法王庁の抜け穴』読書感想
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法王庁の抜け穴 ジッド 光文社古典新訳文庫
フランスの作家、アンドレ・ジッド(1869年~1951年)の小説です。
複数の登場人物たちが一つの詐欺事件をきっかけに右往左往するユニークな作品です。
特に中盤はこっけいさと皮肉さが同居して茶番劇のような面白さです。
翻訳の文章も読みやすく、古典だからと肩肘をはらずに楽しめる良作だったと思います。
しかし、それでは物足りないという方のために、私なりに深読みした要素も付け加えておきました。
あらすじと感想をまじえながら、作品をご紹介していきましょう。
1.おおまかなあらすじ
本作には多数の登場人物が出てくるのですが、主人公はラフカディオという一人の青年です。
この青年、美しく賢く、お金の使い方も知っている魅力的な青年としてえがかれています。
しかし、ラフカディオの出番は実はそう多くはなく、お話に登場するのも遅めです。
話の本筋はラフカディオにはあまり関係のない、一つの詐欺事件を中心に進んでいきます。
その詐欺の内容が「法王誘拐事件」です。
法王とはキリスト教のカトリック教徒の頂点に立つ存在です。宗教界のリーダーですね。
多くの信者の尊敬と崇拝を集める存在ですが、本作ではその法王が誘拐され偽物が君臨しているという事件がでっちあげられます。本当のことなら大事件です。
「本物の法王をお救いするにはお金が必要です……」と言葉巧みに信者たちかた金を集めて回る怪しい男がでてきます。
その男は「この話は決して他の人にしてはいけません、もし事件がバレてしまったら法王を救うことなどできなくなってしまう」と口止めするのも忘れません。
ところが、人の口に戸は立てられぬのことわざ通り、「法王誘拐事件」は1人の善良な信者を中心にその家族や友人の間で広がっていき、いつしか「本当に起こっている事件」としてひとり歩きし始めてしまうのです。
2.茶番劇の主役・アメデ
作品では「法王誘拐事件」がひとり歩きし始めてしまい、茶番劇として盛り上がっていく展開を、信心深いけれども愚かな男・アメデを中心に、皮肉交じりに面白おかしく書きたてています。
このアメデ、あまり体も丈夫ではないのに、法王誘拐事件を聞かされるや否や、「これは一大事!」とよく考えることもせず、すぐにローマに出発してしまいます。
単身で「十字軍」を気取っちゃうわけなんです。
このなんちゃって十字軍が珍道中すぎて主役のラフカディオ以上にある意味、大活躍です。
たとえば、アメデがローマへと向かう電車での一幕を少しだけご紹介しましょう。
アメデの住む地からローマは遠く、電車内で寝泊まりする必要がありました。その車内で、彼を苦しませるのが、虫、です。
今じゃ考えられませんが、昔はノミなども人にたかってきたようです。特に不衛生な電車内ではノミ以外にも人の血を狙ういろいろな虫がたくさん……
アメデは十字軍としてローマに向かっていますが戦う相手は異国の戦士ではなく、虫。
夏の夜に部屋に紛れ込んだ1匹の蚊を思い浮かべてください。やっつけずには寝られない!という気分になるでしょ? あれが蚊の1匹どころじゃなく、群れで襲い掛かってくると想像してみてください。
アメデの災難はこっけいを通り越してもはや気の毒のレベルです。
でも、アメデの神経質さに少し笑っちゃったりもして、中盤以降に盛り上がりを見せる茶番劇の中でも印象的なシーンでした。
3.クライマックスへ向かう一つの事件
アメデがローマに着いてからも彼の珍道中は止まりません。
旅の始まりからして嘘を信じ込んで始まったものでしたが、ローマに着いてからも騙されまくりです。
客観的にみると「この人、これまでこんなに騙されやすくてよく無事で生きて来れたな」という感じなんですが、ただ、アメデはずっと真剣で、この人は馬鹿がつくほど善良な人間であることがわかってきます。
最初は珍道中の悲惨さに笑っていましたが、だんだん愛すべき馬鹿だと思えてきて不思議な魅力をもった男性でした。
正直、作品の中でもっとも面白かったのはアメデの珍道中なんですが、ジッドの意図としてはクライマックスは別の部分にあります。
クライマックスに向かうきっかけになるのが、アメデの珍道中の間に起こる一つの事件です。
なんの運命のいたずらか、その事件には遅ればせながら舞台の中央に躍り出る主役のラフカディオも関係しています。
この事件をきっかけに、面白おかしかった茶番劇は一気にシリアスになり、深読みできそうな古典作品らしいテーマが見え隠れしだします。
この辺りはちょっと、ドストエフスキーの『罪と罰』のような雰囲気に似てなくもなく……
実際にジッドは、ドストエフスキーの影響を受けた『贋金つくり』(あるいは『贋金つかい』)という別の作品を書いています。
ドストエフスキーが好きな方には考察しがいのあるテーマだと思います。
4.作品を深読みしてみよう
ラフカディオとアメデが関わる一つの事件。この顛末はここまでの茶番劇のようなこっけいさを考えると、一気に作品の雰囲気を変えるインパクトのあるものでした。
この事件の後、物語はラフカディオの視点がメインになり、彼は「これからをどう生きるのか」考える必要に迫られます。
人生において大切なモノとは何でしょう。
法律か、愛か、宗教か、それとも……
ラフカディオはこれからの人生の指針にすべき軸を、最後に選ぶよう迫られるのです。
人生の選択に迫られるのは、実はラフカディオだけではありません。
ここまで登場人物はラフカディオとアメデしか紹介していませんが、他にも多彩な登場人物たちが出てきます。
彼等は物語の中で価値観が変わるような奇跡や事件に遭遇したりして、ラフカディオと同じように「これからどう生きようか?」という選択に迫られます。
『法王庁の抜け穴』は単にアメデが右往左往する茶番劇として読んでも面白いのですが、もっと深く掘り下げて「人生の軸になるような価値観」をテーマにした作品として深読みすることも出来ます。
茶番劇から一転、急に重いテーマが出てきてしまいましたが、それもこの作品が生まれた時代背景を知ると、納得できます。
『法王庁の抜け穴』が書かれたのはフランスで共和制が成立し、それまでの宗教を背景にした王権から一転、政教分離が急激に進んでいた時代でした。
明治維新ごろの日本に近い感じかもしれないですね。
世の中の価値観というものが大きく揺らいでいた時代だったとも言えます。
そんな時代背景の影響を受けていたのか、登場人物の中にも、価値観を180度変えてしまう人までいるんです。
しかし、登場人物たちの行く末を最後まで読むと、どうも作者の言いたかったことは「価値観が揺らぐ」ということとは正反対のことだったように思えます。
登場人物たちが作品のなかで経験する奇跡や事件は、どうも彼らの根本的な価値観にしっかりと根付くことはできなかったようです。
「時代の波を受けて価値観は揺らぐ、しかし人間はそう簡単には変われないのだ」
読み終わってからしばらく考えた結果、作者が言いたかったことはこれではないか、と私は結論づけました。
いかがでしたでしょうか?
最後に自分の解釈を偉そうに披露していましたが、これはあくまで私の解釈です。主人公のラフカディオの行く末は、読み方次第で大きく解釈が異なるでしょう。芥川龍之介の『羅生門』と同じくらい、議論が尽きない作品だと思います。
小説の解釈は10人いれば10通りになるのが、読書の面白さです。
「全然違うだろ」と思うもよし、「自分の解釈と近い気がする」と思うもよし、いろいろ考えてみることで本の楽しみ方は一気に広がります!
深読みできる作品に出会った時は、ぜひ読み終わった後の5分間でいいので、作品について想像を巡らせてみてくださいね。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。