戦後も彼女たちの苦しみは続いている『戦争は女の顔をしていない』読書感想

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今回ご紹介する本はこちら↓

戦争は女の顔をしていない  スヴェトラーナ・アレクシーヴィチ  岩波現代文庫

著者はノーベル文学賞受賞者で、本書が一番有名な著書だそうです。

私もタイトルを知っているだけで、読まずに過ごしてきましたが、

本屋でたまたま見かけたのをきっかけに読んでみることにしました。

読んでみてまず驚いたのが、本書は「小説ではない」というところ。

ご存知の方には「そんなところから語り始めるんかい!」と

思われそうですが、あえて、そこから本書の紹介をしたいと思います。

私のようにタイトルだけなんとなく知っているという方にも、

タイトルを初めて知ったよ、という方にも、

本書をパラっとだけでも読んでほしいと願うからです。

この本は戦争について書かれた本で、

文章のほとんどが、女性の戦争体験者へのインタビューです。

そのインタビューを読んでいくうちに浮かび上がってくるのが

「戦地に向かった女性たち」の過酷な戦争経験、

そして彼女たちの戦争は終戦後もまだ続いているという現実です。

読んで楽しい気分になるような本ではありません。

戦争の実態を知っておくべきだと綺麗ごとを言う気もありません。

ただ、深く心打たれる本であることは間違いありません。

感動とも憤りとも違うこの感情を、

一人でも多くの人に感じていただけたらと思います。

それでは、ご紹介していきましょう。

目次   1.本書は小説ではない
     2.『戦争は女の顔をしていない』の意味とは
     3.人間は戦争よりもずっと大きい


1.本書は小説ではない

冒頭にも書きました通り、私は『戦争は女の顔をしていない』は

小説だと思い込んでいました。

というのも、著者がノーベル文学賞を受賞しており、

その一番有名な本だから小説だろうと、単純にそう思っていたのです。

ノーベル「文学賞」というくらいなのだから、

小説家が受賞するものだと安易に思い込んでいました。

しかし、読んでみてビックリ、

本書は小説ではなく、数々のインタビューをまとめた本だったのです。

調べてみると著者は小説家ではなく、ジャーナリスト。

2015年にノーベル文学賞を受賞されたのですが、

ジャーナリストとしては初の文学賞受賞だったそうです。

そして、他の著書も大体はインタビューを中心にまとめた本のようです。

しかしインタビューだからといって、

日本の雑誌でよく見るような、

インタビュアーが録音やメモを元に読みやすくわかりやすく、

きれいに構成しなおしたインタビュー記事を思い浮かべると、

これまた全然違います。

本書には、録音をそのままテープ起こししただけのような文章が並んでいます。

大体のテーマには分かれていますが、

人の話をそのまま載せているような感じなので

話があちこちに飛んだりする人もいますし、

突然話を打ち切ったりする人もいて、

それもそのまま掲載されています。

だから読みやすくもなければわかりやすくもありません。

むしろその逆です。

しかし、これは決して著者が怠けたからでも翻訳上の事故でもなく、

意図したものだと思われます。

あえてインタビューされた側がつっかえながら話ている様子まで

感じ取れるようにするために、肉声を忠実に文章で再現したのではないでしょうか。

読みやすさ、分かりやすさを犠牲にしてまで、なぜその部分にこだわったのか?

それは次の『2.女性が主役の戦争の本』にも関係しています。

2.『戦争は女の顔をしていない』の意味とは

本書のタイトル『戦争は女の顔をしていない』、

これはそもそもどういう意味なのでしょうか?

このタイトルの意味をすぐに理解するには、

日本人がもつ戦争観では少し難しいかもしれません。

著者の出身国はベラルーシ。

地図をみるとポーランドとロシアの間に挟まれています。

ベラルーシは第二次世界大戦時、ドイツとロシアが交戦状態に入った時、

ロシア側で参戦し、ドイツ軍に侵攻された歴史を持っています。

その後、戦争はロシア側の勝利で終わり、ベラルーシも同時に

戦勝国として戦争を終えました。

私もこのあたりの知識はざっとしか覚えていませんでしたが、

本書を読んでいくうちになんとなく、

ベラルーシ国民たちにとって歴史がどう動いていたのか、

次第に輪郭が見えるようになっていきました。

そして戦勝国となったベラルーシでは、

帰国した兵士たちを英雄として称えたのです。

称えられたのは戦争の最前線で戦っていた「男」たちです。

彼らは英雄として「戦争の顔」になったのでした。

ここでタイトル『戦争は女の顔をしていない』を思い浮かべてください。

そうタイトルの意味は、戦勝の名誉は「男」のもので「女」のものではない、

くらいの意味でしょうか。

兵士として戦地に赴くのは男性である、というのは

日本人には違和感がないかもしれませんね。

戦争に関するドラマ、映画、小説をみても、

出てくる兵士は男性ばかりです。

しかし、ベラルーシではそうではなかった、というのが

本書を読むとわかります。

『戦争は女の顔をしていない』には戦争の最前線に向かった女性たちが

登場し、インタビューに答えています。

(一部亡くなった妻を思い出して語る男性もいたりしました)

女性が最前線に向かったとなると、衛生兵(看護婦さんとして)や

通信兵(電話交換手とか)が思い浮かびますが、

本書には「兵士」として戦った女性たちも数多く登場します。

戦場でライフルを構えて狙撃手として働いたり、

爆弾の運搬をしていた女性もいました。

『戦争は女の顔をしていない』には戦争で勇ましく戦った女性たちが

戦争のあらゆる局面で体験した辛さ、苦しさ、あるいは誇らしさなどが

メインに書かれているのです。

そういう女性は少数派なのでは? という疑問がわくかもしれませんが、

著者のところには本にするに十分なインタビューが集まった後も、

ずっとインタビューを受けたいという女性が後を絶たなかったそうです。

それだけ、多くの女性が従軍していたのです。

しかも彼女たちの多くは、徴収されたのではなく、

自ら志願して戦地へ向かっています。

この心理ばかりは平和な時代に生きる人間には推し量るしかないのですが、

「そういう時代だった」と語っている女性の言葉が、一番腑に落ちました。

志願しても上官に「女はいらない」と言われたりして、

彼女たちは戦地で役立つことを男たちに認めさせるにも苦労します。

そうして戦地にいることを認められたとしても、

月に一度の苦しみに悩まされたり、

身を飾るイヤリングを隠さなければならなかったりと

女性ならではの苦しみを味わうことになります。

そして、その苦労が戦勝という形で報われたと思いきや、

戦争後にも彼女たちの苦しみは続いているのです。

男たちは英雄として国に、故郷に、家に帰ることが出来ました。

でも、女たちは?

彼女たちの多くは「戦争で男ばかりの中に女がいたの?」という

悔しい、悲しい誹謗中傷にさらされて、

戦地にいたということすら隠して生きていかなければならないという

現実に直面していました。

隠さなければ、街にはいられない、結婚もできないという現実は、

英雄視される男たちに比べ、なんという差でしょう。

著者はそんな女性たちにインタビューすることで、

女たちの戦争がどんな苦しいものだったのか、

苦しみは今も続いているのだ、ということを伝えようとしています。

その苦しみを最も生々しく伝えるには、

どういう文章にするのが効果的なのか?

この問いの答えが、「1.本書は小説ではない」の最後に出てきた疑問の

答えになっていると思います。

インタビューの録音をそのまま文章にしたような

読みやすさ、分かりやすさを犠牲にしても貫いた

肉声を忠実に文章に落とし込んだ理由は

彼女たちの苦しみをリアルに感じ取ってほしいからだと思います。

インタビューの中には「もうどうしても話せない」とだけ

答えている女性もいるのです。

そこには具体的な戦争体験の情報は一つもありません。

しかし、戦争で彼女が受けた苦しみを

これ以上に表現している文章もないのではないでしょうか。

きれいに整えられた文章にはない抑制されない感情の生々しさには

小説にも匹敵するものがあります。

3.人間は戦争よりもずっと大きい

本書の中でも、印象的だったのが冒頭に書き記された

この言葉「人間は戦争よりもずっと大きい」です。

最初に読んだ時の第一印象は「どういう意味なのだろう?」でした。

日本語としては間違っていないけれど、意味は通っていないと言いますか、

そもそも人間と戦争の大きさを比べるということ自体が

意味をなしていないと思えて、戸惑いました。

その前後の文を何度も読み直し、その場で解釈したのは

「戦争体験というのは彼女たちの人生の一部であり、

戦争を現在の心境や環境により、語られる内容も変化する」

という意味ではないか、というものでした。

しかし、本書を読み終えた今、

また少し別の解釈が生まれています。

本書は「恋」や「母性」といったテーマに分けて

インタビューの内容が並んでいます。

最初のうちはそのインタビューの内容で、戦争における

「恋」や「母性」の在り方をあぶりだそうとしているのだな、と

思っていたのですが、読んでいくうちに「違うな」と思い始めました。

読みながら思い出したのは東日本大震災の時の、

ビートたけしさんのコメントです。

「これは何万人が死んだということではない。

一人の人間の死が何万と一度に起こったということなのだ」

正確ではないかもしれませんがこのような内容だったと思います。

本書でも、戦争という大きなテーマがあって、

戦争というものを彼女たちに語らせているのではなく、

戦争を通して彼女たちの人生一つ一つが波乱万丈の物語であることが

胸に染み入るように理解できるようになっていきました。

「人間は戦争よりもずっと大きい」というのは

確かに戦争はその人の人生の一部だという意味でもあり、

戦争体験を包み込んでその人の人生は続いていく……という

悲しみや諦観を表現した言葉だったのかなあ、と思っています。

著者がノーベル文学賞を受賞した理由は、

著書がジャーナリズムとして優れているという点が評価されたのだとは思いますが、

小説のように豊かな人生の物語が表現されているという意味もあったのではないか、

と読み終えた時に感じました。


いかがでしたでしょうか?

本書はNHKのEテレ「100de名著」にもとり上げられました。

翻訳本なせいもあるのか、日本語が読みづらく、

誰かに解説してもらった方が分かりやすい本ではあります。

残念ながら私が本書に出会った時は既に放送後だったため、

実際の番組は拝見できておりません。

果たして、私の解釈は如何に!?

しかし、読書は読んだ人のものですからね。

特に『戦争は女の顔をしていない』のような骨太な作品は

読む人によって全然受け取り方が違って当然だと思っています。

ぜひ、手に取って彼女たちの苦しみを受け取ってみてください。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

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