感動以上にやりきれないラスト、その原因はボタンの掛け違い?『ミッドナイトスワン』読書感想

こんにちは、活字中毒の元ライター、asanosatonokoです。

今回ご紹介する作品はこちら

ミッドナイトスワン  内田英治  文芸春秋

同タイトルの映画は草彅剛さんが主演を務め、日本アカデミー主演男優賞を受賞した超話題作の小説版です。

書いたのは同映画で監督・脚本を務めた内田英治その人です。

映画の予告や裏表紙のあらすじから「感動もの」であるということを感じ取って読み始めましたが、意外や意外、「感動もの」というわけではない、というのが読み終わった後の率直な感想です。

いや、正確に言えば、感動はするんです。

でも、期待していた感動ではなかった、というのが正しい。

読後には「なんでこんなラストにしたんだ!」と少し憤りすら湧いたくらいです。

感動する、泣ける、といった言葉ではくくり切れないこの世の理不尽や孤独、人間のエゴ……負の側面が縦糸に横糸に、みっちり編み込まれ、最初から最後まで貫き通した作品だったなと思います。

あらすじをまじえながら、作品を読んだ感想をご紹介していきたいと思います。


1.惹きこまれる冒頭

どんな小説でも、冒頭というのは説明っぽくなりがちです。

物語の時代、場所、登場人物などを紹介するのに、どうしても多くの文章を費やさなければならないので仕方のないことではあります。

でも、逆に言えば冒頭は作者の腕の見せ所です

いかに説明しながら、読者の心を惹きこむ文章にできるか?

『ミッドナイトスワン』では見事にそれを成功させていました。

『ミッドナイトスワン』の冒頭は主人公である凪沙が勤めているニューハーフショークラブ「スイートピー」の楽屋から始まります。

登場人物は5人の女性。

主人公でみんなの姉貴分的存在である凪沙。

高学歴の瑞樹。

美人なアキナ。

愛嬌のあるキャンディ。

歴年のニューハーフである洋子ママ。

全12ページをかけて、彼女たちが慌ただしく開店前のメイクなどの準備をしながら会話をしているシーンが描かれています

その会話の内容が、なんというか「ザ・定番」です。

例えば、不倫相手に振り回されて泣いているアキナ。

「連絡がこないのよ~……」と化粧をどろどろにとかして泣きじゃくります。

それを凪沙や瑞貴が叱ったり励ましたり、でも年の近いキャンディだけは「不倫なのにもう二度とあんなに愛せないとかうける~」と嫌味たっぷりです。

アキナも負けじと「男は金づるとしか思ってないくせに!」と言い返し、キャットファイトの始まりです。

「昭和か」と突っ込みたくなります。

もはや滑稽さを感じさせるほど陳腐な応酬です。

しかし、ここはニューハーフショークラブの舞台裏。

つまり登場人物たちは全員、元男性。

凪沙いわく、「こればかりは手術でもどうしようもない」低音ボイスでこの女子トークが繰り広げられているわけです。

さらに、メイクや着替えなどの描写も入るのですが、その中にさらっと書き込まれているのが、「 胸の谷間をガムテープで作る」という作業……

彼女たちが小競り合いを繰り広げながらも必死に自分を磨き上げているのは、全てショーの舞台というきらびやかな世界に立つため。

彼女たちは、メイクに、髪のセットに……と普通の女性と同じような準備をしているのですが、その中に隠し切れない「男性の部分」が紛れ込んでいるのです。

現実味の薄いコントみたいな彼女たちのやり取りの中に、妙にその男性の部分だけがリアルで、頭に焼き付くように残ります。

そして、このシーンの最後、彼女たちは華やかに美しく変身し、照明がふりそそぐショーの舞台へと向かいます。

そのコントラストに、哀切を感じます。

彼女たちのコントに笑ったらいいのか。

それとも隠し切れない男性の部分に泣いたらいいのか。

相反する感情を持たされて切ない気持ちにさせる名シーンだと思います。

物語開始数ページでぐっと「この作品は心揺さぶられること間違いない」と惹きこまれました。

2.凪沙の一果への複雑な感情

物語は冒頭から進み、凪沙は育児放棄にあっていた親戚の女の子、中学生の一果をしばらくの間預かってくれないか、と実母に頼まれます。

適合手術を受ける費用を早く稼ぎたい凪沙は、養育費という名目で振り込まれるお金に断り切れず一果を引き受けます。

しかし凪沙の元に訪れた一果は、長年の育児放棄により凪沙の手には負えないほどの心の傷を負っている状態です。

何に対しても無反応な一果の心を唯一動かすものは、幼いころに公園で少しだけ習った「バレエ」。

しかしそんなことを知るはずもない凪沙は、何を話しかけても返事もしない無表情の一果に「苦手だ」と思い、極力関わらないようにします。

そこから、物語の中の時間はあっという間に2カ月も経ってしまいます。

しかも、凪沙と一果の関係は同居しているのにお互いほぼ関与せずという当初の関係のまま……

本のページもすでに3分の1以上に進んでおり「あれ? これはいつ2人の関係が進展するの?」と不安になるのですが、そこから話が一気に進むのでご安心を。

凪沙はちょっとした事件をきっかけに一果の「バレエ」への情熱を知り、彼女の情熱を応援しようと決めることになるのです。

そしてこの頃から凪沙は一果のことを最初「苦手だ」と思った理由がただ、一果が無表情な子供だったからではなかったことに気づいていきます。

作中では「そういう理由じゃなかった」くらいではっきりと理由を明言しているわけではなかったのですが、ここでも、作者は相反する感情を上手に使っていたので、私なりの考察ですが、凪沙の一果への複雑な感情を書いてみようと思います。

まず、一果ですが、彼女は中学生ではありますがこの歳で既に恵まれたスタイルと美貌の持ち主だと描写されています。

一果が通うことになるバレエ教室の先生である実花がはっきりと「生まれ持っての才能」と評価するほどの美しさ。

一果はまだ未完とはいえ、既に女性を感じさせる存在として凪沙の目にも映ったのではないでしょうか?

ただ、それだけなら嫉妬というわかりやすい感情で済んだのかもしれないのですが、一果の家庭環境の複雑さが、凪沙の心をややこしくさせる要素を生んだと思います。

凪沙が一果に初めて会った時に、一果が着ていたのは一目見て薄汚れているとわかる制服。

凪沙の一果への第一印象はおそらく「不幸そうな子供」だったでしょう。

凪沙はトランスジェンダーとして生きづらい人生を送り、自分のことを恵まれていないと思っています。

恵まれない人生を送ってきた女性が、恵まれない境遇にいる子供に出会ってしまった。凪沙にとっては一果は、自分のコンプレックスを刺激する存在でもあったのではないか、と思うのです。

憧れとコンプレックスが同居した存在、それが凪沙にとっての一果で正解だとしたら、「苦手だ」と本能的に感じ取って当然ですよね。

でも、そこから凪沙は一果へと手を差し伸べるのですから、優しい母性を持つ女性の魅力を、凪沙に感じ取ることが出来ました

3.ボタンの掛け違いが加速する後半

凪沙と一果の関係が一歩踏み込んだものになるのはお話も半ば過ぎです。

しかし、2人の関係が親密になればなるほど、ふりかかってくるのが「お金の問題」です。

あっという間にお金に困るようになる凪沙は、あの手この手で一果のためにお金を稼ごうと苦心します。

たとえ、それが自分のプライドや尊厳を奪うような行為であっても……

凪沙の身を犠牲にした献身に一果は混乱したりもしますが、2人の間にはやがて親子にも似た絆が育っていきます。

そこから2人は仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし……とは残念ながらいきません。

波乱の未来が待っていますが、その結末がどうなるのかは、ぜひ小説を読んでほしいと思います。

冒頭にも書きましたが、私は小説版の結末について「どうしてこんな終わり方にしたんだ!」とすこしモヤモヤとしたものを感じております^^;

まあ、これだけで綺麗にスッキリ終わらなかったんだな、と察していただけるとありがたいのですが、私にとっては、やり切れない思いを起こさせるラストでした。

というのも、結末を知ってから改めて『ミッドナイトスワン』のあらすじを思い浮かべていくと、特に後半は登場人物たちの心のすれ違いっぷりがすごいんですね。

あまり書くとネタバレになってしまうので控えめに例をだすと、凪沙が一果に母性を示そうとすると一果が反発し、逆に一果が凪沙に母として支えてほしいと思った時は凪沙がその手を取っていいものか悩んで固まってしまうんです。

凪沙と一果だけではなく、凪沙と親友の瑞貴、一果とその親友のりん、一果とバレエの先生の実花とほとんどの主要登場人物たちの間ですれ違いが起こっているんです。

その様子はボタンの掛け違いのようでいったいどこからやり直せば、この小説は私が思う納得のいくラストになったんだろう……と読み終わった後に、しばらく考え込まされました。

この作品では人間の住む世界に起こりそうなありとあらゆる理不尽が登場してきました。

貧乏、性別、見た目、才能、そして孤独……

特に、ボタンの掛け違いを起こさせたのは孤独が原因だったのでは?と思います。

登場人物たちは絶えず、孤独感に悩まされています。

お互いに友情などの好意を抱いて結びついているのに、です。

人物相関図を書くと、誰からも好意を向けられていない人の方が珍しい。

もしかしたら孤独というのは、ただ誰かに思われているということだけでは解消されず、受ける側が欲しいタイミングで欲しい愛情をもらえること、これが満たされなければ人間は孤独を感じてしまう、ということが『ミッドナイトスワン』全体を通して作者が表現していたことかもしれません。

だから、凪沙が一果にいくら「私があなたのお母さんとして頑張るわ」と思い行動していても、一果が「お母さんに一緒にいてほしい」と思っているタイミングでなければ伝わらず、凪沙も一果も孤独を感じてしまうのかも。

なんというワガママな話だろう、と物語を第三者の視点で読んでいる私にはそう思えます。

でもこういった人間のエゴって、気づかないだけで日常、身の回りで頻繁に起こっているのかもしれないです。

とあるSNSサービスの既読無視とか、その一例になりそうです。

返事は相手のタイミングに任されているのだから不安に思わなくていいはずなんですよね…

そう考えると、ボタンを掛け違ったまま進んだストーリーが、やりきれないラストで終わってしまうのも納得感がでてきました。

ちなみに、少し調べたところ、小説と映画では結末が異なるようです。

小説の方がより、人によって解釈がわかれる最後になっています。

ですから、ぜひ映画を観た方にも小説を読んで結末の違いを確かめてほしいなと思います。


いかがでしたでしょうか?

私にとって良い読書体験とは、心動かされ読み終わった後にも余韻が残ることだと思っています。

『ミッドナイトスワン』はまさにその良い読書体験ができる作品です。

いろいろと私なりの感想を書きましたが、きっと読む人によって、また別の解釈や感想が生まれてくる作品だと思います。

ぜひ、皆さんもお手にとってみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

さ、映画版を観よう(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です