読書感想|本格ミステリーでありながらホラー、山魔の如き嗤うもの(三津田信三)

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「山魔の如き嗤うもの」(やまんまのごときわらうもの)  三津田信三 講談社文庫

タイトルが振り仮名無しだと、とてもじゃないけど読めないですね。

この本は三津田信三先生の刀城言耶シリーズの長編作品の一つです。

シリーズ最初の作品、『厭魅の如き憑くもの』(まじもののごときつくもの)を読んで以来、はまって集めています。

なかなか癖になる作風なんですよ。

日本古来の伝承などを下敷きに、ホラーやオカルトの雰囲気たっぷりの文章、だけど中身は本格ミステリーでもある、と複数の要素を組み合わせたシリーズになっています。

シリーズの概要も含め、ご紹介していきますね。

目次
 1.刀城言耶シリーズってどんな感じ?
 2.『山魔の如き嗤うもの』のおおまかなあらすじ
 3.横溝正史と似てる?


1.刀城言耶シリーズってどんな感じ?

まず、振り仮名から。刀城言耶と書いて、とうじょうげんや、と読みます。

このシリーズ通しての主人公で、作家 兼 民俗学者(主に妖怪や怪異を収集している)の名前ですね。

普段は温厚でわりとイケメンな若い男性、ですが不思議な話を聞くと根掘り葉掘り聞きだし、すぐに現場に向かわずにはいられないという困った癖の持ち主、という設定になっています。

その困った癖のせいで、日本のあちこちの山奥の村に踏み込み、そこで起こる不思議で身も凍るような恐ろしい事件に遭遇し、いつの間にか解決してしまう、というのがシリーズのお決まりになっています。

ただ、解決とはいっても、名探偵皆を集めてさてと言う、みたいな鮮やかな解決方法ではありません。

関係者の前でさて、と言い出すまではいいのですが、推理を述べて解決、かと思いきや、言ったそばから本人が「でも……」とその推理をひっくり返し、また別の推理を述べていよいよ解決か、と思いきやまた「でも……」と自ら推理を一蹴し、また別の推理を……ということを延々と繰り返す、変わった解決パートが描かれます。

しかし、その推理の一つ一つのクオリティが高く、「もうどれが真相でもいいじゃない!」と私なんぞは思ったりします。

探偵役による一人ドンデン返しを繰り返しますが、最後にはちゃんとした(?)真相に辿り着きますのでご安心を。

この一人ドンデン返しのクオリティの高さで、刀城言耶シリーズは本格ミステリランキングなどの常連になっているんですよ。

ちなみに今回ご紹介する『山魔の如き嗤うもの』は2009年の本格ミステリ・ランキングで1位を獲得しています。

2. 『山魔の如き嗤うもの』のおおまかなあらすじ

物語は山奥の村の成人の儀式の模様から始まります。

名家の末っ子が、実家を嫌って都会暮らしをしているのですが、成人の儀は行わなければいけない、と呼び戻されます。

成人の儀は山を登って礼拝をしにいくという古風なもので、 嫌々ながらも成人の儀に臨みます。

半日ほどで終わるはずの儀式ですが、山道に慣れないため迷子になり、気が付けば儀式を行うのとは別の山、地元では忌み山と呼ばれている場所で遭難してしまいます。

そこで山にいるはずのない赤ん坊の声が聞こえたり、奇怪な声がとびかったり、不思議な老婆に出会ったりと、散々恐ろしい目に遭います。

逃げまどいながらも一軒の山小屋に着き、そこで暮らしている一家に一晩世話になりますが、翌朝目覚めてみると食べかけの朝食を残したまま一家は消え去っています。

一家を探しますが見当たらず、それどころか異形のものに出くわし、逃げまどっていたところを保護されます。

保護してくれたのは山の名家の一つ、楫取家の当主である力枚(りきひら)でした。

一家消失のことを話し、ともに探しますが一家はどこにもおらず、当時山から降りるルートには必ず目撃者がいるはずの状況でした。

山という大きな密室から消えてしまった一家、この謎が後に凄惨な連続殺人事件に繋がっていくのです。

一家消失の事件をひょんなことから知った主人公、刀城言耶は興味を持って現場である山奥の村に向かいます。

しかし、そこで待ち受けていたのは地元に伝わる子守歌になぞらえた連続殺人事件。

刀城言耶は警察に協力しながら事件の謎を追い、ついに一家消失から連続殺人事件までの謎をすべて解き明かします。

合理的な解釈で不可思議な現象はすべて解き明かされます、が、最後はホラー作品らしいぞくっとする瞬間が待っています……

3.横溝正史と似てる?

横溝正史は言わずと知れた昭和を代表する大ミステリ作家ですよね。

作品の特徴としては

 ・山奥の旧弊な村社会の中で起きる凄惨な事件。

 ・事件は何故か密室だったり誰もがアリバイのある時間に行われたりと不可解な状況で起こる。

 ・子守歌や伝説になぞらえて起こる事件は人為ではなくもしや呪いによるものなのではないか、というオカルト要素がある。

など、独特の舞台のなかで起こる殺人事件を、名探偵である金田一耕助が紐解いていく、というパターンがイメージとしてありますよね。

そして、これらの特徴はすべて、三津田信三の刀城言耶シリーズにも当てはまります。

今回の『山魔の如き嗤うもの』も、事件状況の多くが横溝正史作品の特徴と被っています。

そのためこのシリーズは、横溝正史の類似作品として世の中には受け止められてしまっているところもあります。

確かに似た作風ではあります、が……作者である三津田信三先生が目指したところは横溝正史の世界観ではないそうです。

横溝正史の目指したものは日本の伝統的な村社会と本格ミステリの融合。

三津田信三が目指しているのは本格ミステリとホラーの融合。

ともに本格ミステリの要素を組み込んだところは同じですが、ミックスされているもう一つの要素が違うんですね。

三津田信三先生が描くホラーが古典や民俗学に寄ったもののため、舞台が街中ではなく山中の村になり、そのため横溝正史の世界観と似てしまった、というのが本当のところのようです。

確かに、刀城言耶シリーズでは、事件の謎を限りなく合理的に解いていきますが、最後の最後に、どうしても合理的には説明がつかない何かが残ります。

『山魔の如く嗤うもの』もそうで、最後の最後に、すっきりとしない、まだまだ事件は続いているのではないか? 

いや、事件とも呼べない不可解な人知を超えた何かが見過ごされているのではないか……?

というような余韻を残して終わっています。

作中の描写でも、横溝作品では「何か背中がゾーっとするような……」という表現は多用されていますが、それだけで、本当に得体のしれないものは人間の心理にこそある、というのが世界観の根底にあるという印象を受けます。

三津田作品では、このホラー的な描写に相当のページ数と表現を費やして場を盛り立てていくように書かれています。

本書でも、事件の起こった山中に向かう主人公とその協力者が、縦に並んで山道を登っていると、顔が見えないだけで前を歩いているのが本当に人間かわからなくなる、そんな雰囲気がこの山にはある……と誰もが一度は感じたことのある正体不明の恐怖感情を克明に描写しています。

このように、細かく見ていくと、二人の作家が目指す世界観は似て非なるものだということがよくわかります。

比較のために三津田作品と横溝作品を連続して読んでみて、作風や描写の違いを見つけるのも楽しいかもしれませんね。



いかがでしたでしょうか?

古典的な本格ミステリが好きな方には、刀城言耶シリーズは刺さるものがあると思いますので、ぜひ手に取ってみてくださいね。

文章量がけっこうあるので、ちょっと……という方には、短編集もありますので、そちらから作品の雰囲気を感じ取っていただいたもいいかもしれません。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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