作者の身もだえするような苦悩が伝わってくる:熱帯(森見登美彦)読書感想
元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!
今回ご紹介する本はこちら↓
熱帯 森見登美彦 文春文庫
この記事を読んでくださってるあなたは、
もう『熱帯』を読み終わった後でしょうか?
『熱帯』という作品は摩訶不思議な作品で、
最後まで読むと「なんとなく、作者の言いたいことは分かったかなあ」
と思わされるのですが、
「いや、なんだか全然違う読み方があるのではないか!」
「誰か他の人の感想を知りたい!」と
ググってしまいがちな作品ではないかと思います。
実際に、この作品をググると
「熱帯 森見登美彦 解説」という検索ワードが推奨されます。
作品内容自体がモヤモヤしている上に、
感想自体もモヤモヤさせて、
さらに読者の感想に対する自信もモヤモヤさせるとは、
さすが森見登美彦作品なのです。
(注:私は森見登美彦さんの大ファンです、いつかサイン会行きたい)
私も、このブログまで辿り着いてくださった方と、
自分なりの感想を共有したいと思い、
この記事を書いています。
タイトル通り、私が『熱帯』から感じたのは
作者である森見登美彦さんの苦悩です。
『熱帯』をネット上で連載していた当時からの読者として、
この作品の根底に少しでも近づきたいと思います。
それでは、レッツスタートです。
目次 1.『熱帯』とはどんな作品だったのか?
2.にじみでる作家の苦悩
3.千夜一夜物語とは何か?
1.『熱帯』とはどんな作品だったのか?
作品タイトルでもあり、
作中の最大の謎でもある『熱帯』って結局どんな作品だったのか、
感想を述べる前に触れておきたいと思います。
まずは簡単なあらすじをまとめよう……と思ったのですが、
これが思った以上に難しいことでした。
『熱帯』は作中でも重要な役割を果たす『千夜一夜物語』を
オマージュして作られています。
『千夜一夜物語』は基本的には作品中の登場人物が別の物語を語り、
その別の物語の中の登場人物がまた別の物語を語り……と
お話の入れ子細工のような構造になっています。
そのため油断していると「あれ? 誰が話し手なんだっけ?」
「なんでこんな物語をしているんだっけ?」と
混乱する羽目になります。
それはこの『熱帯』にも当てはまり、
特に後半は物語が乱発し、迷子になった人も多数いらっしゃるのでは?
と勝手に予想しています。
私も何回か行きつ戻りつして、地図を作るような感覚で、
乱れ飛ぶ物語たちを時系列や人物相関図的に頭の中で並べたりしてました。
ややこしくて、読みながら内容を整理するのが大変な『熱帯』ですが、
全5章(+後日談)を、ザックリ、「その章で何が言いたいのか」に注目すると、
わかりやすくまとまっているという特徴があります。
「第一章 沈黙読書会」では話し手は作者・森見登美彦氏自身で、
内容は『熱帯』という不思議な作品があるぞ、と読者に話題提供をしています。
「第二章 学団の男」では、話し手は白石さんという女性に交代し、
『熱帯』という作品が具体的にどう不思議なのかを白石さんの体験を通して語ります。
これ以降、
「第三章 満月の魔女」 話し手:池内さん
『熱帯』作者の佐山氏の出身地、京都へと向かい『熱帯』のルーツを探る旅に出る
「第四章 不可視の群島」 話し手:記憶を失った男
作中で示されていた『熱帯』の冒頭そっくりのお話が始まる
「第五章 『熱帯』の誕生 話し手:記憶を失った男
『熱帯』を生み出した<創造の魔術>の秘密に迫る
……ザックリ、各章の内容をまとめるとこんな感じになるでしょうか。
この中で最も『熱帯』の謎に迫るのに重要なのは第五章です。
第五章まで読み終わると、謎を振りまきまくっていた『熱帯』という作品が
どうやって生まれてきて、どんな作品として成長していったか、という真相も
輪郭が少しぼやけながらも見えてきます。
ネタバレはできるだけ回避したいので、さらっと核心だけ触れますと、
『熱帯』とは、話者を変えて語られる永遠の未完成作品なのだと思います。
前述した通り、別物語の乱立が特に激しくなるのは第五章の後半からで、
どこまでもお話が無尽蔵に規則性なく、広がっていってしまう感覚は、
突然の雨と共に生命力たくましく、どんどん成長していく熱帯雨林を思わせ、
「ああ、なるほど、だから『熱帯』なのか」と
頷かせるものがあります。
後日談からも感じられるように、きっと、『熱帯』は本を閉じた後もなお、
どこかで妄想を膨らませた誰かによって、
日夜、物語と謎の増殖を続けているのではないか……
そんな余韻を残す作品でした。
『熱帯』の謎も解けた気分になり、終わらない物語という
なんとなく読書家たちの胸を弾ませる終わり方で、めでたしめでたし
…………
で、いいのかしら?
そんな前向きな物語なのかしら?
私の読後の感想は、そんな問いから生まれました。
2.にじみでる作家の苦悩
冒頭にも書きました通り、『熱帯』という作品から、
私は「森見登美彦さんの作家としての苦悩」を受け取っています。
『熱帯』という作品は確かに謎めいていますが、
言葉のチョイス(「ポテトフ」「やふーい」「なーる」)や
非文明的な熱帯の島に辿り着いたのに
コーラを売ってる自販機が出てきたりする間の抜け方は
これまでの森見登美彦作品に共通するホッコリさを持っていて、
一見すると「苦悩」なんかとは無縁に思えるんです。
思えるんですけど……
と、ここから私の思考を辿るにはけっこう長い話になりますので、
よろしければ読んでみてください。
話は2011年ごろ、『熱帯』がWeb上で「ほぎゃほぎゃ」とうぶごえをあげた
辺りまでさかのぼります。
この『熱帯』という作品が誕生したのは確か2011年くらい、
大手物販サイトのAmazonの中に存在していた
Matogrosso(マトグロッソ)というWeb文芸ページでした。
現在はAmazonからは離れ、独立したWebメディアとして運営されているようですが、
当時は、うろ覚えですが森博嗣さんや萩尾望都さんといった
大物執筆陣の中の一人に森見登美彦さんも名を連ね、『熱帯』の連載が始まりました。
私も「森見登美彦の連載、しかも無料で読めるの!? やっほーい!!」と
毎週(確か毎金曜更新だった気がする)楽しみにしていました。
連載当初から『熱帯』という「絶対に読み終われない謎の作品」という
モチーフは存在しており、Amazonさんもそれを受け、
通販サイト内にわざわざ『熱帯』という作品の販売ページを設け
「『熱帯』という作品は存在する、常に入荷未定で絶対に買えないけど」という
状況を作り出して連載をバックアップしていました。
この当時、森見登美彦さんは他にも連載や長編小説を抱えており、
まさに売れっ子小説家そのものとして私の目には映っていました。
「好きな作家さんが売れて嬉しいなあ」
そんな呑気なことを1ファンでしかない私は思っていたのです。
しかし、そこから「嘘でしょ!?」という事態が発生します。
森見登美彦さん、厳しい締め切りに音を上げます。
いや、たぶん締め切りの問題だけではないと思うんですが、
とにかく、森見登美彦さんは一切の連載作品や書きかけの長編作品を
いったん休止し、休養に入られたんですね。
この時の衝撃はすごかったです。
「戻ってこられるの!?」
これが私の第一声だったんだから、ファンってありがたくも厳しいモノですね。
(体調は2番目に心配しました^^;)
その後、森見登美彦さんは無事、筆を持つ力を取り戻して
『夜行』や『熱帯』などの傑作を生みだします。
ファン(=私)歓喜。
「戻ってきてくれてありがとうございます!」
その気持ちでこの『熱帯』も読みました。
連載中とはだいぶ違った話になっているなあ、と思いつつ、
森見登美彦さんは書籍化する時に、別物か、ってくらい改稿する作家さんなので
それも通常運転といえばその通りなのです。
とはいえ、読み終わった後に「面白かった」と同時に
「連載中からこんな展開にする予定だったのかな?」
というのが純粋に湧いてきた疑問でした。
『熱帯』は永遠の未完作品で、ただし、話を新しく創るには
<創造の魔術>が必要で、その力は誰もが持っているものではない……
これってなんだか小説家の世界を比喩しているみたいだな、と思ったのです。
小説家と名乗るには、何千・何万という倍率を勝ち抜いて
新人賞レースを制す必要があります。
昨今ではWeb上で作品を発表し注目を集めデビューする作家さんもいますが、
それだって新人賞レースを制すのと同じくらい厳しい道のりでしょう。
そこを勝ち抜いて、しかしそこからまた、どんどんと作品を生み出さなければ
世間は新人作家などすぐに忘れてしまいます。
作品も出せばいいというものでもなく、ヒット作でなければ
編集者も遠ざかっていってしまう……
想像するだけで厳しい、過酷な競争社会ですよね。
<創造の魔術>を使える=小説家として世に出て、そこから作品を、
できればヒット作を生み出し続けていかなければならない過酷さ、
そして<創造の魔術>を使える人間は後からも出てきて、
自分よりもハイペース・ハイクオリティで作品を生み出していってしまうかもしれないプレッシャー、
今日、傑作を生みだしても明日には別の傑作が売り上げチャートに上位に食い込んでいる無慈悲さ。
熱帯雨林の中で繰り広げられる、弱肉強食の世界のようではないですか?
休養に入る前の森見登美彦さんは、締め切りもそうだし、
なによりも小説界の弱肉強食の世界で戦っていく気力が失せてしまったのではないか、と思うのです。
『熱帯』は、前述した通り、言葉のチョイスや展開の唐突さに
これまでの森見登美彦ワールドを踏襲してもいるのですが、
血や虎などの暴力を思わせる表現を使ってみたり、
殺人といった今までほとんど使ってこなかった展開を入れてみたりと、
ドキッとするようなほの暗さも差し込んでいる作風に、
小説へのやり切れない後ろ向きの感情が滲み出ている気がします。
元々の森見登美彦作品は、「おもちろおかしければそれでいい」という世界観で
深かったり、普遍的だったりするテーマを作品に練りこんでくるような作家さんではなかったんです。
小説家としてそれはどうなんだ、という批評は置いておきましょう。
だからこそ、安心して楽しめる物語を創造してくれていた珍しい作家さんでもあったのです。
しかし、この『熱帯』には、珍しくも作家としての苦悩という重いテーマを
練りこんで作品を作り上げたんじゃないかな、と感じます。
きっと、休養前の森見登美彦さんであれば、第五章のようなラストは書いていなかった、
そう思います。
3.千夜一夜物語とは何か?
最後に『熱帯』モチーフでありテーマでもある『千夜一夜物語』について
少し触れておきたいと思います。
『千夜一夜物語』とはササン朝ペルシア時代を舞台にしたお話です。
そういうと、なんだか古めかしい話のような気がしますが、
アリババと盗賊、シンドバッド、魔法のランプと魔人といった
子供の頃に読んだ記憶のある、絵本の元となった作品も
収められているんですよ。
基本は、美女が王様と自分の妹相手に寝物語として
語った物語がつづられています。
しかし、その物語の中に登場する人物がまた別の物語を語り、
その別の物語の中に登場する人物がまたまた別の物語を語り……
という、作中作と言われる、物語の入れ子構造が多用されている
ところが特徴です。
編纂者や翻訳者の違いにより数多くのバージョンがあり、
バージョンごとに作品の内容が違ったり、
語られている話の数も違ったりしていて、
「これが決定版!」という正本もない、
自由奔放な作品ともいえます。
私が読んだことがあるのは『バートン版』と言われる、
イギリス人による英訳を、さらに日本語訳にし直したものです。
一冊がかなり分厚い上に、全11巻というかなりのボリュームですが、
昔絵本で読み聞かされたような、どこか懐かしい内容の話があったり、
漫画『マギ』に登場するジャーファル、マスルールといった名前が登場したりと
心惹かれる内容です。
注釈も多いので、イスラム文化に詳しくなくても、
描写やセリフの意味など、解説を読んで理解しながら
読み進められますよ。
ただ、似たような話が多いので、読み続けていると飽きます……^^;
もし、11巻挑戦してみよう! という方は
のんびり、ゆっくり、他の本も読みつつ、
チャレンジしてみてください。
ここに、千夜一夜物語の序盤、美女が王様に寝物語をすることになるまでのあらすじを
簡単に纏めておきましたので、興味のある方は読んでみてください。
寝物語が始まるまで、40ページ強かかるんですよ。
さすが『熱帯』のモチーフになるだけのインパクトある内容(と量)です。
シャーリヤル王は別の国を治めている弟王に会いたくなり、
弟王に自分に会いに来てほしいと使者を出します。
弟王は兄王の要請に応えて兄王の国へと出発しますが、忘れ物に気づいて取りに戻ります。
すると、夫が出発したばかりだというのに、弟王の妃は早くも浮気をしています。
妃の浮気にうちのめされた弟王は、愛する兄との再会にも気分は沈んだまま、
兄王が元気を出させようと誘った狩りにもついていかず、王宮に残ります。
兄王が狩りに行った後に弟王が目撃したのは、兄王の妃と妾達の浮気現場。
自分よりも偉い兄王でもこんな目にあうのかと、逆に吹っ切れた弟王は
元気を取り戻し、兄王にその理由を話してしまいます。
今度は兄王が凹む番です。
やってられるかとばかりに、兄王は弟王と共に旅に出ます。
その旅の途中、とある魔人とその妃に出会います。
魔人はたいそう妃を大事にしており、誰にも触らせるものかと
息巻いています。
しかし、魔人が寝てしまうと、魔人の妃はそばにいた兄王と弟王に気づき、
すぐに浮気しましょう、と誘ってくるわけです。
魔人の妃の浮気相手はなんと500人越え。
人間よりもはるかに偉いはずの魔人ですら、妃の浮気という辱めにあっているぞと、
兄王たちは吹っ切れて、それぞれの宮殿に戻ります。
それから、兄王による残酷な仕打ちが始まりました。
まずは妃と妾達をすぐに処刑します。
それから、夜ごとに女を召し出しては、一夜を共にしてから、
浮気をする前に、とすぐに殺してしまうようになったのです。
こんなことを3年も続け、民の間には怒りと不安が渦巻き、
女を用意する役目の大臣は頭を抱えます。
そこに、大臣の娘である姉:シャーラザッド(都の解放者の意味)と
妹:ドゥニャザッド(世界の解放者の意味)がやってきます。
今夜、王のもとに向かう女として自分たちを選んでほしいと
父である大臣に訴えます。
大臣は当然大反対しますが、娘たちも折れません。
大臣は諦めの悪い娘に、戒めのため、物語を語ります。
『牡牛と驢馬の話』
真面目な商人が、神様にご褒美として動物の話が分かるようにしてもらいます。
ある日、商人が飼っている牡牛が働かされていることの文句を驢馬に
言っているのを聞いてしまいます。
驢馬は牡牛にアドバイスとして「仮病を使えばいい」といい、
翌日から牡牛は仮病を使い、仕事をさぼります。
商人は牡牛の代わりに驢馬を働かせ、驢馬は足りない知恵を
働かせてアドバイスなどするのではなかったと後悔します。
大臣はこの話で娘たちを思いとどまらせようとしますが、
娘たちは諦めません。
そこで、大臣は話を続けます。
商人は驢馬を懲らしめられたので笑ってしまいますが、
理由を知らない妻は何故笑っているのか、夫である商人に詰め寄ります。
商人は困りました。
笑っている理由を説明するには、自分が動物の言葉をわかることを
伝えなければなりませんが、それは神様によって禁止されており、
破れば命をとると言われていたからです。
そんなこととは知らない妻は意地になって、理由を説明しろと言って
譲りません。
仕方なく商人は、自分の死後の準備を整えてから妻に話すことにしますが、
その時に飼っている雄鶏の声が聞こえてきました。
雄鶏は雌鶏たちを上手に扱うが、商人はたった一人の妻の扱いにも
てこずっている、もっと手ひどく扱えばいいのだと言って
笑っていたのです。
大臣はここまで話をして、娘たちに、
思いとどまらなければお前たちのことも手ひどく扱うぞと脅しますが、
娘たちはまだまだ諦めません。
大臣は話を続けます。
商人は妻を手ひどく扱い、二度と秘密を探るような真似はするなと
約束させます。
それから、夫妻は仲良く暮らしましたとさ。
大臣は、この話通り、娘たちにお仕置きするぞと脅しますが、
娘たちはどうしても諦めません。
結局、大臣の方がおれて、娘たちを兄王のもとに行かせることにします。
姉のシャーラザッドは、妹のドゥニャザッドに、
眠る前に、何か寝物語をしてください、と
自分にねだるように打ち合わせします。
そして第一夜目、打ち合わせ通りに、ドゥニャザッドがシャーラザッドに
寝物語をねだると、兄王も話に興味をもち、
シャーラザッドに話をするように許します。
こうして、幾晩も続く果てしない物語が幕を開けたのです。
いかがでしたでしょうか?
ここで正直な気持ちを述べてしまいますと、
『熱帯』という作品は、初期の作品からのファンとしては、
少し寂しい感じのする作品でした。
例えて言うなら、まだまだ子供だと思っていた我が子が、
気が付けば大学生になって「今日夕飯いらないから」と
言う日が多くなっちゃったな……
そんな寂寥感に似た感情です。
森見登美彦さんの作品のただただ「おもちろおかしい」、
安心して楽しめる世界観はもう戻ってこないのかもしれない、
と重いテーマに取り組んだ『熱帯』からは、
作家としての森見登美彦さんが、
大成へ向けて走り出した前触れを感じさせます。
寂しいは寂しいですが、これから新たなファンを獲得して、
さらなるご活躍をされるためには
素晴らしい変化ですよね。
これからも森見登美彦作品を応援していきますよ!
私もわずかながら、ファンの輪を広げる一助になっていればいいなあ。。。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。