簡単なはずの事件が意外な展開へ! 濃密な裁判ドラマ『事件』読書感想

こんにちは、活字中毒の元ライター、asanosatonokoです。

今回ご紹介する作品はこちら

事件  大岡昇平  新潮社

何ともシンプルなタイトルの作品です。

発表されたのは1977年、ひと昔以上古い作品ですね。

しかし令和の時代になってからドラマ化されるという息の長い作品です。

本作は「日本推理作家協会賞」を受賞しています。日本推理作家協会賞の歴史は古く、創立者は江戸川乱歩。設立以来、「その年で最も優れた推理小説」に授与し続けられています。

つまり、本作品のジャンルはおそらく「ミステリ」だと思い読み始めたのですが……

そんなに簡単にカテゴライズできる作品ではないな

というのが私の率直な感想です。

非常に濃密な作品です。読み応え抜群で、骨太な読書を求める人にはぴったりの1冊です。

それではあらすじと感想をまじえながら内容をご紹介していきましょう。

1.簡単なあらすじ

まずは簡単なあらすじからご紹介しましょう。

お話は昭和36年、神奈川県の田舎町で起きた殺人事件から始まります。

坂井ハツ子という若い女性が殺され、5日後、すぐに容疑者である上田宏という犯行当時19歳の少年が逮捕されます。

宏にはヨシ子という恋人がいましたが、ヨシ子が妊娠したことをきっかけに2人は駆け落ちすることを決意。ところが、ヨシ子の姉であり被害者となったハツ子がいち早く妊娠に勘づき「子供は諦めろ」「両家の両親にチクるぞ」と宏にせまったことから、宏が「そんなことを言うな」と持っていたナイフを抜き、ハツ子を刺してしまった……というのが事件のてん末です。

宏はハツ子殺害後、死体を隠すためか現場となった山道のがけ下に死体を移動させ放置し、犯行から5日間、当初の予定通りヨシ子と駆け落ちし新生活を送っていたことが明らかになっています。

宏は逮捕後、ハツ子殺害および死体遺棄した事実を自供。

本人の自供もある簡単な事件であるため、裁判ももめることはないだろう……

そう思われていたのです、が。

裁判の行方は思わぬ展開を見せることになるのです。

2.始まった重厚な人間ドラマ

本作品のほとんどは宏の裁判のシーンを中心に展開します。

裁判の傍聴って行ったことありますか? 私は残念ながらありません。法曹界の知人によると、裁判所に予定を問い合わせて傍聴席が空いていれば誰でも見に行っていいらしいですね。

人の運命を決める裁判の傍聴の敷居は意外に低いようです。

それはさておき、裁判の様子は『裁判長、ここは懲役4年でどうですか』か『家裁の人』くらいでしか知らないのですが(どちらもマンガです)、どうやら本作はかなり忠実に実際の裁判の様子を再現してくれているようです。

イメージでは、検察官と弁護士がバチバチと舌戦を繰り広げ、時に被告人に厳しく迫り、時に参考人が号泣しながら新事実を語り、紛糾した場内を裁判官が木槌と「静粛に!」の一言で収める、みたいなのが浮かびます。

しかし、作者いわく「実際の裁判は退屈だ」そうです。

確かに、裁判の冒頭で検察官が被告人についての意見を述べたり、参考人は誰を呼ぶとか、事件の様子を事細かに描写してみせたりと、序盤はけっこう退屈なシーンが続いていました^^;(笑) 何も知らずに本物の裁判を見にいっていたら寝ちゃってたかもしれませんね……

少々小難しい表現の文章が続くので読みづらさを感じる部分ではあるのですが、それでも中にはハッと眠気が飛ぶようなシーンも出てきます。

私が印象的だったのは被告人に事件で使用された凶器を確認するシーンです。

これ、実際に使用された凶器そのものを被告人に見せて確認するらしいんですね。

「うわあ……これは残酷」

思わずうめいてしまったシーンでした。当然、被告人も動揺しまくりです。

無味乾燥なようで、しっかりと確認すべき現実を突き付けてくる裁判の描写にイメージで持っていた「裁判」が覆っていく序盤です。

さらに、「退屈なシーンが続く」と前述しましたが、あくまで裁判のリアリティを感じさせるためのシーンだけがそう感じさせるのであって、それ以外の部分はむしろ濃密です。

裁判には多くの人が関与します。被告人、被害者遺族、事件の参考人、弁護士、検察官、裁判官。他にも直接事件とは関係ないものの、事件の起きた町に住む人々など、あげていけばキリがありません。

本作ではそんな事件に関わった主だった人物の心理描写を丹念に表現してあります。

例えば、第一回公判が終了した後に被告人が裁判所から退席するシーン。

容疑者なので手錠をはめられたのちに退席するのですが、その時にふと見えるのは傍聴席なわけです。

そこには家族、恋人、そして殺してしまった相手の母親なんかが座って、じっと自分を見つめています。

その光景に、被告人は何を思うのか……

おそらくその心情は作者の想像、あるいは取材くらいしたかもしれませんが、なるほどこんな気持ちになるに違いないという納得感のあるものでした。

さらに被告人だけではなく、他の人物が事件について、被告人について、裁判についてどう思うのかを丁寧に描写してあるので、濃密な人間ドラマが展開されています。

被告人の自供もあり、有罪が覆ることはない裁判のためにこういう人間ドラマで魅せていくのかな? と作品の傾向が見えてきた、そんな風に序盤を読んでいました。

が、それはとことん読みが浅かったことをその後思い知らされることになるのです。

3.有罪決定の裁判がここまで面白くなる

あらすじでも書きました通り、裁判の被告人でもある上田宏は殺人を犯してしまったことを自白・自供しています。

警察の無理矢理の取り調べによって自白させられた冤罪事件、なんてものも世の中にはあるようですが宏に関しては本人も深い反省の想いを見せており「殺した事実」は間違いないと裁判の開始から関係者全員(読者も含む)納得しているのです。

つまり、どんなに頑張っても宏になんらかの「有罪」の判定がくだるのはほぼ間違いない状況なわけです。

これまでいろいろミステリを読んできて、こういう裁判ものであれば大概「有罪が無罪にくつがえるのではないか?」という大逆転劇が起こるかどうかが、お話を盛り上げる一番の要素という筋書きの作品がすべてだったと思います。

それなのに本作ではあえて「有罪決定」の裁判を中心にもってきたんです。

結果がわかりきっているものに対してドキドキしないですよね。結果を知ってしまったサッカーの試合の録画をみているようなもんです。

しかし! 本作では読んでいくうちに「こういうやり方があったのか!」と思わず唸らされるような演出が飛び出してくるんです。

お話の3分の1が経過したあたりから、お話は裁判で目撃者や重要参考人を法廷に呼び出して検事と弁護士が交互に質問攻めにし合うという流れに入ります。

この裁判の過程が意表をついてくる面白さなんです!

特に、弁護士である菊地のターンに注目してください。

彼は元裁判官でありながら、弁護士に転身し腕利きとして成功を収めているという人物です。

宏のことを不憫に思った恩師が腕利きと評判の菊地に頼み込んで弁護人を引き受けてもらうのですが、菊池さん、本当に優秀です。

彼が質問攻めにすると参考人の口から漏れ出すのは超意外な新事実!

検事が「そんなこと聞いてないぞ!」と内心苦々しく思ったり、裁判官がちょっと前のめりになるのもわかるような急展開が待っています。

こんな事実が出てくると事件の様子がガラリと変わってしまうのでは……?

それくらいインパクトのある法廷での大番狂わせが、有罪決定の裁判を大いに盛り立ててくれるのです

4.最後に裁くのはあなた

意外な新事実に驚かされたり、人間ドラマに唸ったりしているうちに、本作の最後では宏に判決がくだり、最後に関係者たちの短いエピローグが語られてお話は幕を閉じます。

しかし、実は本作では一つだけ、本文中では明らかにされなかった謎が残ってしまうのです。

ネタバレになってしまうのは本意ではないので、どんな謎か、ヒントだけ記しておきますと「被害者の表情」に注目です。

この最後の謎、解かれないまま残されたのは、おそらく作者の故意によるものだと思われます。

というのも、作中に「すべての真実が解き明かされるような裁判はない」と登場人物たちの口を借りて作者が語らせているんですね。

裁判自体が抱えているジレンマかもしれませんが、裁判では「分かっている事実」を考察することで裁くしかない、というのが実情だそうです。

ミステリを読んで、名探偵が動機や犯行状況も含めすべての謎を解き明かしてくれる物語ばかりを知っているので、犯人逮捕後の裁判でも真相をもとに犯人は裁かれているのだろうと思い込みがありましたが、よく考えるまでもなく、現実はそう甘くないですよね^^;

だから冤罪も生まれるのだし、控訴や再審という制度があるんです。

裁判のリアリティを表現してきた本作では、全ての謎を解き明かすことなく、裁判も終わるし物語も終わってしまいます。

残された謎がどういう意味を持っていたのか……読み終わった後に、考察し、判断するのはあなたです。


いかがでしたでしょうか?

シンプルなタイトルからは想像できないほど濃密さも意外性もある読み応えのある作品でした。

ぜひ手に取ってみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

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