最後の最後まで気が抜けない……銀行ミステリの傑作『シャイロックの子供たち』読書感想

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今回ご紹介する本はこちら

シャイロックの子供たち  池井戸潤  文春文庫

池井戸潤さんの十八番、銀行を舞台にした小説です。『オレたちバブル入行組』(ドラマ『半沢直樹』の原作)や『花咲舞が黙ってない』の他にも、銀行を舞台にした小説、たくさん書いてるんですね。

本作はとあるメガバンクの1支店を舞台にした連作短編集になっています。支店内で起こる様々な事件、人間ドラマはとてもリアルで生々しく……実際に銀行で働いたことがある私としては当時感じていた胃の辺りの不快感を思い出すほどでした。

しかも、本作は単に人間ドラマに終わりません。一つ一つの短編は独立した話になっているのですが、読み進めていくと支店内で起きている「大不祥事」の絵が浮かび上がってくるのです……

最後の最後まで「大不祥事」の真相が見通せず、「すべてを知りたい!」という好奇心をかきたてられる展開の数々が待ち受けています。

面白さの仕掛けはたっぷりの作品です、内容をあらすじと感想をまじえながらご紹介していきましょう。


1.おおまかなあらすじ

物語の舞台はメガバンク・東京第一銀行の長原支店です。長原は実際にある地名で、住所で言うと東京都大田区、東急池上線が走っており、周辺は自由が丘、田園調布、五反田などの町に囲まれています。

長原周辺は中小企業がひしめき、長引く不景気に企業の資金需要はなく、そもそも積極的に貸し出せる会社もあまりない……そんな風に作品では紹介されています。

しかしどこの会社もそうかもしれませんが不景気だからといって営業ノルマが下がるわけではなく、長原支店は高い目標を課され、それを達成するべく4月の年度初めから上司の怒号が飛び交う、そんな状況から物語はスタートしています。

最初に登場する長原支店のメンバーは副支店長の古川一夫。平凡なサラリーマンであり、高卒で銀行に就職したため、出世の天井は見えてしまっています。しかし、何とか今年度の目標を達成して支店長へ昇格する切符を掴みたい……! 

ここまで読んで「なるほど、このお話はこの副支店長の逆転物語なのかな?」と思って読み進めていくと……すぐに「おや?」と気づかされます。お客にとってメリットのない商品を売れと部下に恫喝するわ、反抗的な部下にすぐにカッとなるわ……副支店長という立派な肩書のわりに、古川は倫理観も薄く卑屈な精神の持ち主でまったく応援したいと思えない人物だとわかってくるんです^^;

そして案の定、古川は物語開始10ページちょっとで事件を起こしてしまうのです。その理由も「自業自得だろ」という言葉がぴったりくるもの、全く同情できません。

事件がどういう決着を迎えるのか、意外な事実も飛び出し古川も長原支店も年度初めからいきなりピンチ……となるのですが、お話はそこで章を変え、主人公も別人になり、全く違うお話が始まります。

こんなふうに、本作は長原支店で働く様々な人にスポットを当てた、短いお話が寄り集まってできた短編集です。

2.浮かびあがる大不祥事

古川副支店長から始まり、どんどんと主人公を変えた短編が続いていきます。一つ一つは独立したお話になっているのですが、途中、とある事件が起きた辺りから物語の雰囲気が少し変わっていきます

その事件というのが、「現金紛失」事件です。その金額、なんと100万円。

大きな金額ですが、銀行の支店では金額が多かろうが少なかろうが、現金を紛失するというのは大事件です。たとえ1円でも、支店中をひっくり返した大騒ぎになります。

私が銀行に在籍した時の話なので古い情報ではありますが、銀行の支店では毎日、営業終了直後にその日受け取った金額、支払った金額、すべてを検算しています。検算結果は毎日本部へと報告しており、一定の時間を過ぎると「ペナルティ」があるほど厳しいものです。検算結果が合わなければ、合うまで繰り返し確認し、作中でも出てきますがゴミ箱までひっくり返して計算漏れしている伝票はないか、確認する羽目になります。

そして、現金が足りなかった場合、職員のポケットマネーでどうにかするのはご法度。バレれば厳重注意ではすみません。支店長の首が飛ぶくらいの大事になってしまうのです。

長原支店で起きた100万円の現金紛失事件が、どれくらい大事のなのか分かっていただけたところで、本書の内容に戻りましょう。

長原支店でも100万円の行方を探して思い当たる場所全てを探し、そしてついにその手掛かりが発見されるのですが……その手掛かりが見つかった場所が問題でした。

銀行では現金は100万円単位で「帯封」という紙テープを巻いて管理しているのですが、その帯封が、一人の女子職員、北川愛理の荷物から発見されてしまうのです。

なくなった金額も100万円。見つかった帯封も一つ。疑いの目は当然、愛理に向かうことになります。

ところが、この後、事件は二転三転し……別の男性職員が行方不明になってしまうのです。

こんな重大な事件が2件も連続して発生するものだろうか? 現実なら偶然はあり得ても、小説の世界ではそんな偶然はまずありえません。きっと現金紛失事件と関係しているに違いない……と思い読み進めていくのです、が。

現金紛失事件も行方不明事件も、「今度こそ真相がわかるのでは!?」というところまでいくのですが、その度に妨害が入り、期待してはまたひっくり返され……と、何度も身もだえさせられることに。

ドラマ『半沢直樹』で「倍返しだ!」で一話ごとに苦境をひっくり返していくあの感じの、ちょうど逆。

さらにそれが最後の最後、もうあと少しで終わっちゃうというところまでドンデン返しが待っているんです。

もう読み手をどれだけ楽しませれば気が済むのか、エンタメ小説のトップをひた走る池井戸潤さんの才能を感じます。

3.「人に歴史あり」

本書の裏表紙の紹介文を読むと「クライム・サスペンス」と銘打たれています。前述した通り、現金紛失事件から行方不明事件が起き……と、長原支店で起きている「大不祥事」を追っていくのがメインストーリーではあるのですが、本書で最も力をいれて語られているのは「人間」です。

長原支店には実にいろいろな人が働いています。

モラハラ上司の古川副支店長を始め、目標達成のプレッシャーに潰されそうな中堅社員、叱責することしかできない上司を無能とあざ笑う若手……

どこのオフィスにも居そうな人間が本書にはたくさん登場します。

それだけでもリアルなサラリーマン小説として完成度が高いですが、さらに突っ込んで、それぞれの背景やプライベートまできっちり書き込まれているからさらに面白い

「人に歴史あり」という言葉通り、モラハラ副支店長にだって、彼がそんなふうになってしまった「しっかりとした理由」が存在しているんです。(共感、納得できるかはまた別の問題として……)

そして、現金紛失事件から始まる「大不祥事」の犯人にだって、歴史、そして家族がいるわけです……こういう人に限って、家族に見せる顔は穏やかで、幸せそうで……そのギャップ、やるせなさがすごいんです。

また、人の歴史やプライベートを語ることで、作品の奥深さを出しているばかりでなく、読後感もしっかりと操作されています。最後に待っている大きなドンデン返し、この主役となる人物の背景を知っているのと知らないのとでは、きっと読後感が180度違ってくることでしょう

私は本書を読み終えた時、爽やかな風を感じた気分になりましたが、それも池井戸潤さんの筆力のおかげ。

読後感というのはやはり小説を読む上でとても大事だと再認識させられました。

4.ヒロイン、北川愛理

私は小説や漫画といった創作物には「欠かせないもの」があると思っています。それが「ヒロイン」です。

恋愛要素があろうとなかろうと、素敵な(あるいは魅力的、人を惹きつける要素のある)ヒロイン(実は性別関係なく、ヒロイン的役割をはたしている人がいればそれでいい)は絶対にいなくてはならない、と思っています。

本書でその重要なヒロインの役割を果たしているのが北川愛理です。現金紛失事件で容疑をかけられてしまう女子職員です。支店での仕事は窓口。銀行に行くと、通帳やら伝票やらを預かって事務作業をしてくれるカウンター席に座っている職員です。

登場時、愛理はヒロイン的な役割を果たすとは思えないほど、地味な印象を受けます。

周りの同じ仕事を担当している女子職員と比べて、とある事情から地味に暮らさねばならず、少々ストレスが溜まった女の子。可もなく不可もなく……な印象です。

しかし、愛理は自分が主人公の短編が終わった後も、度々姿をのぞかせるのですが……その度に彼女の印象がうなぎ上りになっていきます

仕事もきっちりこなし、記憶力も確かだし、周囲への配慮もできるし……

カウンターにいる職員を自分で選べるなら、愛理を指名したい。信頼できる人物像が浮かび上がってきます

正直に言いまして、長原支店には好人物というのがあまり存在していません。みんな仕事に追い詰められているせいかもしれませんが、疲弊して、プライドを失くして、ストレスが溜まっていて……魅力的に感じられる人が少ないんです。

その中で、愛理は好感度トップの登場人物。池井戸潤さんの『花咲舞は黙ってない』の主人公・花咲舞ほど熱い正義感の持ち主ではないですが、どこか彷彿とさせる、凛とした女性としてえがかれています。文章で名前が登場すると、少しテンションがあがりました。

『シャイロックの子供たち』はドラマ化するそうです。この人が主人公! と決まっていないこの作品で、誰を主役に据えるかと言われれば、私のイチ推しは愛理ですね。


いかがでしたでしょうか?

『シャイロックの子供たち』はミステリとしての面白さもあり、人間ドラマとしての面白さもあり、読後感も良い、読者に楽しんでほしい! という作者の意気込みが見える作品でした。

ドラマ化するのでそちらをご覧になる方も多いと思うのですが、原作も手に取ってみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ、感想などコメントに残していってくださいね。

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