映画化の原作小説は感動的、その理由を考察しました(悼む人、天童荒太)読書感想

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今回ご紹介する本はこちら↓

悼む人 天童荒太 文春文庫

2009年の直木賞受賞作品で、着想から完成まで足かけ7年を

費やした長編小説です。

それだけの年月を費やしただけの、濃密な仕上がりになっています。

上下巻で買いましたが、下巻はティッシュを握りしめながら読んでいました。

タオルを用意しておけばよかった……^^;

実は『悼む人』を読むのは2回目で、

初回はそこまで感動した覚えはなかったんです。

だから完全に油断していました。

『悼む人』は若い人よりも、ある程度の年齢以上に刺さる作品だと思います。

ここで、その理由を語りたいところなのですが、

前置きが長くなりすぎるので最後に譲ります。

ここからはあらすじを紹介しながら、一人の重要人物の変化に注目して、

『悼む人』を考察していきたいと思います。

まず『悼む人』の主人公は静人という青年です。

彼が日本全国を旅しながら、人が死んだ場所を訪れては、

そこで亡くなった人が、

「誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたか」を調べ、

その記憶を胸とノートに刻み付けて ”悼む” ということをしています。

彼の行為は人々に困惑や不審、時には怒りを呼び起こしますが、

いつしか ”悼む人” として目撃者や遺族に語られるようになっていきます。

静人を中心に物語は展開していくのですが、実は静人目線で語られることは

一文もありません。

物語は3人の静人以外の視点ですべて語られます。

1人目が蒔野抗太郎(まきのこうたろう)、雑誌記者。

2人目が巡子(じゅんこ)、静人の母。

3人目が奈義倖世(なぎゆきよ)、夫を殺し刑期を終え出所したばかり。

この3人がかわるがわる、各々の視点で静人を語っていきます。

静人の捉え方も三者三様で、その考え方の違いで静人の

行っている ”悼み” を多角的に理解していくことになるのですが…

この3人、他にも重要な役割を持っていると私は考えています。

静人が ”悼む” 時に、求める死者についての情報は3つ。

さらっと前にも書きましたが、今一度紹介しますと、

 誰に愛され  誰を愛し  どんなことをして人に感謝されたか

語り部の人数も3、 ”悼み” に求める情報も3、ということで、

これは偶然ではなく、3人が静人に対して、

どういう立場にいるのか、あるいはどういう立場になっていくのか、

に関係していると思います。

そのように注目して読んでいくと、3人の役割は

以下のようになると思います。

  母である巡子 = 静人を愛した人

  奈義倖世 = 静人が愛す人

  蒔野抗太郎 = 静人に感謝する人

中でも、蒔野抗太郎が最も変化に富んでいました。

(母親は生まれた瞬間から静人を愛し、

愛し続ける人物像として描かれていて変化がなく、

奈義倖世をどうして愛すようになったかは本文中で静人が

説明してくれました…)

なので、ここでは特に蒔野抗太郎のあらすじと彼の変化に絞って

追っていきたいと思います。

蒔野抗太郎は雑誌記者で、人の底意地の悪さを掻き立てるような記事を

書くことで有名であり、 ”エグノ” とあだ名されるほどです。

彼の初登場は、仕事中にビールを飲み、

捏造ともとれる取材をし、おまけに好色という、

印象抜群、インパクト大なシーンになっています。

そんな彼が、知り合いからネタとして情報をもらい、

静人と出会います。

しかし、”エグノ” にしてみれば、

静人の行為は偽善、あるいは意味不明でしかなく、

嫌悪感を抱く一方で、

静人のことが気になって仕方ないという気持ちも持ち合わせます。

消化しきれない思いを、彼は記事を書く時のテイストを変えることで

発散しようとします。

今までの悪意にまみれた記事ではなく、被害者がどんな人物だったのか、

掘り下げた記事を書くようにしたのです。

実に ”エグノ” らしい、彼の個性に合った消化の仕方だなあ、と

感心してしまいます。

それでもまだ気が収まらない蒔野は、静人の情報を集めるため、サイトを開設し、

そこに届く静人の悪評を読み、自分をなだめようとするのです。

どうして蒔野はそこまで静人に執着するのか?

その答えが、彼の人生を通しての敵、父親にあります。

彼の父親は幼い蒔野とその母を捨て、愛人を作り、

好き勝手に生きてきた人物として蒔野に憎まれています。

しかし、その蒔野自身、以前は結婚し、息子にも恵まれながらも

離婚、養育費も払わず、息子とは一切会っていません。

つまり、蒔野は

 誰にも愛されず、 誰も愛さず、 人から感謝されることもない

自分をそんな人間だと認識しています。

静人の悼みの基準と蒔野の境遇を知れば、

そりゃ全力で否定したくもなりますよね…と納得しかないです。

そんな蒔野が変わるきっかけが、父の死です。

憎んでいた父が、愛人を通して蒔野に最期に一目でいいから

会いたいと伝えてきますが、蒔野は拒みます。

そして父が死んだあと、ようやく彼が住みついていた

愛人宅へ行き、通夜と葬式に参列します。

そこで知った父の姿は、蒔野の記憶とは真逆の姿でした。

詩を愛し、人の相談に乗り、愛人を不器用ながらも愛した父。

蒔野が感じたものは混乱や怒りではとても表現しきれないものでした。

蒔野は通夜の最中に、父の愛人にすがり、交わります。

しかし、その様子は男女の営みというよりは、

生まれ直しに近い行為でした。

蒔野は心の奥底では、

実は母親にも見捨てられたと感じており、

それを父のせいと思う一方で、

自分も母を見捨て返し、

結局父も母も孤独のうちに死なせてしまったと

後悔する気持ちを持っています。

愛人に導かれるように後悔の気持ちを

自分を許す気持ちへと昇華していく過程が、

父の愛人との関係で描かれていました。

葬式の日から、蒔野の様子ははっきりと変化しています。

身元がわからず、生きながら焼かれて死んだ女の事件を

蒔野は取材していましたが、

父の死の前は捜査状況を傍観するだけだったのが、

どこで、どんなふうに暮らした過去があったのか、

乏しい情報を頼りにして、必死になって、

ついに女の身元を探し当てることに成功するのです。

これは静人の悼みを、蒔野なりの方法でなぞる行為です。

蒔野が静人の ”悼み” を自分流に理解しかけたということでしょうか。

そうして、きれいにまとまったところで、蒔野編は終わるのかと思いきや、

彼はそれまでの自分の生き方による報いを受け、

酷い暴力を受け、殺されかけてしまいます。

しかし、殺人者に静人の存在と、その悼みを語ることで、

彼は九死に一生を得ます。

蒔野が語った内容が殺人者の一人の心に届き、

ためらいの気持ちを呼び起こしたのでしょう。

かくして、蒔野は奇跡的に助かったことで、

静人に感謝の念を抱く人間となり、

物語での役割を果たすことになった、のだと思います。

物語の登場人物は、作家によって役割を持たせられています。

この人物は ”何を表現するために存在しているのだろう?”

この視点をもって読むだけで、読書の楽しみは深まると思います。

作家の本心は作家自身にしかわかりませんので、

蒔野の役割が果たして私の ”読み” であっているのか、

賛否両論あると思いますが、

より深く作品に関われた実感はありますので、

意識してみてくださいね。

いかがでしたでしょうか?

いつもならここで終わりですが、冒頭にも書いた、

初めて読んだときよりも、今回2回目に読んだときの方が

感動した理由に触れておきたいと思います。

その理由は、この作品が「死」を扱っているところにあると感じています。

若いころって、「死」って遠いと思っていました。

いつかは訪れるけど、ずっと先のことで、漠然と死ぬのは怖いなあとか、

その前に起こるであろう老化のほうが嫌だ! と思っていた記憶があります。

しかし、30代も半ばを過ぎますと、身近な人の死も、

経験をしたことがあるという方が多くなってくると思うのです。

私も曾祖母を2人、亡くしましたし、流産も経験し、

同級生ですら何人か亡くなっています。

「死」はわりと身近にあるもので、自分に訪れるのは

数十年後とは限らない、ということを学びました。

だからこそ、突発的な死が訪れても、

静人のように悼んでくれる存在があるというのは、

安心感というのか、ありがたいことなんじゃないかと

思えるようになった、というのが

『悼む人』に心動かされた理由だと思います。

最初に読んだのは2012年で、今が2021年です。

人生の重みが増えれば増えるほど、

『悼む人』は染み入る作品になっているはずなので、

10年くらい経ったらまた、読んでみたいと思います。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!

よろしければ、感想などコメントに残していってくださいね。

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