イヤミス風ドグラ・マグラとも言うべき作品『坂の上の赤い屋根』読書感想
こんにちは、活字中毒の元ライター、asanosatonokoです。
今回ご紹介する作品はこちら
坂の上の赤い屋根 真梨幸子 徳間書店
作者である真梨幸子さんは数ある文学賞の中でもトップクラスの知名度を持つ「メフィスト賞」を受賞してデビューされた作家さんです。
メフィスト賞は第1回の受賞者である森博嗣さんをはじめ、辻村深月、西尾維新などなど、数多くのビックネームを見出してきた出版大手・講談社が誇る文学賞なのです。
『坂の上の赤い屋根』はメフィスト賞を受賞した際の作品ではありませんが、作家の実力はお墨付きをもらっているようなものです。
これはかなり期待できる……!
そう思って読み始めたその期待は、大体のところは満たされました。
まず、冒頭のプロローグ的文章からして心をわしづかみにしてくる力強さがあります。
個性が選考基準の1番手にくるメフィスト賞を受賞されただけはある、強烈で、人間の心の奥底に肉薄した迫力ある文章でした。
冒頭だけでも読んでみる価値はあると思います。
それでは、あらすじと感想をまじえながら内容をご紹介していきましょう。
1.簡単なあらすじ
まずは簡単なあらすじからご紹介していきましょう。
本編は過去に起きたセンセーショナルな殺人事件を中心に展開していきます。
その殺人事件というのが通称「文京区両親強盗殺人事件」というものです。
事件の概要は、文京区に住む夫妻が実の娘とその恋人に惨殺されたというもの。
実の娘の名は青田彩也子。
恋人の名は大渕秀行。
殺害された両親には何の非も見当たらなかったことや、犯人のうちどちらが主導権を握っていたのかなど、マスコミを大きくにぎわせた事件として作中に登場してきます。
作中ではこの殺人事件はすでに10年以上も前の過去のことで、既に裁判も終わり、大渕秀行には死刑が、青田彩也子には無期懲役が言い渡されています。
大事件とはいえ裁判も終了している過去の事件、これを掘り起こしたのは1人の作家でした。
その作家はデビュー作こそ売れはしたものの、その後は鳴かず飛ばず、どうにかして今一度チャンスを掴みたいともがいた結果、大渕秀行らが起こした殺人事件を取材し直しノンフィクションノベルとして世に出すことでした。
作家は事件の関係者に取材をしていきます。
大渕秀行の裁判の様子を絵に描いた「法廷画家」。
高校時代の大渕秀行のバイト先のイベント会社社長。
大渕秀行の元愛人。
様々な立場の人たちから、少しずつ大渕秀行らの人となりや事件についての感想を聞いていくうちに小説は好評を得ていくのですが……
2.既視感のある前半
作品は最初の最初「0章」と銘打たれた文章から始まるのですが、冒頭でも書きました通り、この0章がものすごいインパクトを放ってきます。
内容自体は文章の書き手が小学校のころに転校したことをきっかけに優等生から問題児へ変貌してしまったという、ただそれだけの内容ともいえるのですが、何が凄いって、そこに込められている感情の渦が凄い。
環境の変化に耐えられなかったのは自分だけれど、それをことごとく周囲の環境のせいにし、憎み、恨み、怒り、報復まで誓うというすさまじさ。
人間の真っ黒な部分を表現しきっているのは殴りつけるような感情むき出しの文体です。
書いてみたら実感できるのですが、感情をそのまま文章に書くって、実はとても難しいことだと思います。
まずは感情を的確に言語化すること自体がハードルが高いですし、それを書くとなると、その過程で一瞬冷静になった自分の「照れ」や「恥」の感情との戦いが始まります。
誰に見せるはずでもない日記ですら、感情を書き込むのは難しい、それが人間ではないでしょうか。
『坂の上の赤い屋根』は小説なので、作者自身の感情として書いているわけではないとはいえ、ある程度は登場人物の感情に寄り添って書くわけですから冒頭の本の数ページでも、実はものすごいエネルギーを使って書かれたのではないかな、と思います。
さて、強烈なインパクトを植え付けてきた0章が終わり、お話は本編へと入ります。
ここからは、作中の主人公となるとある小説家の目線で、大渕秀行らが起こした殺人事件の関係者たちにインタビューをしていくという流れが続きます。
大渕秀行の裁判を描いた法廷画家に、元バイト先の社長、元愛人といろいろな立場・目線から大渕秀行らの人物像、事件の展開を見ていくことになります。
見る人を変えることで事件も犯人たちの人物像も微妙に姿を変えていくのが面白いところです。
ただ、少しこの辺りは他の作品でもよくあるというか、既視感のある展開だったのは否めません。
最近読んだ中で思い出すなら染井為人さんの『正体』でしょうか。
『正体』も脱獄した少年死刑囚を脱獄先で出会う人々の視点で立体的に描いていく作品になっています。
『坂の上の赤い屋根』や『正体』に限らず、けっこうミステリではよく使われる手法ですね。
次々にいろいろな事実が現れたり、矛盾点が出てきたりして読んでいる人の好奇心を常に刺激し続けられる展開になるので、既視感はあるものの面白く前半部分は読み進められます。
しかし個性が命のメフィスト賞受賞作家としてはどうなんだろう……
なんてことを考えていた時に差し掛かった後半で「なるほど!」と思わされる作家の個性が浮き出てきます。
3.『ドグラ・マグラ』イヤミス風な後半
既視感のある前半部分の最後に「え!???」となる仕掛けが施してあり、お話は後半に突入します。
そしてメフィスト賞作家の本領が発揮されるのも後半からです。
前半はインタビューが多いのもあって、理性的な文章が続くのですが、後半はガラリと文章の雰囲気が変わります。
あなたは『ドグラ・マグラ』という作品をご存知でしょうか?
タイトルくらいは知っている、途中まで読んで挫折したという方が8割くらいを占めているのではないかと推測しているのですが、『ドグラ・マグラ』は私の中では日本文学史が誇る屈指の名作だと思います。
読んだことのある方の中には「名作? 迷作の間違いでしょ」と思われる方もいらっしゃると思うのですが、1年以上かけてじっくり読みこんだ私には『ドグラ・マグラ』は名作中の名作です。
いや、ほんと考え抜かれて書かれていますよ、『ドグラ・マグラ』。
『ドグラ・マグラ』の詳しい解説(もどき)については当ブログの別記事を読んでいただくとして、
『坂の上の赤い屋根』に話を戻しますと、後半の文章から受ける印象が『ドグラ・マグラ』っぽいんですね。
もちろん、表現の仕方や文体は全くの別物なのですが、読んでいくうちに感じる酩酊感や目眩、徐々に高まっていく動悸などの感覚が『ドグラ・マグラ』を読んでいた当時を思い起こさせます。
なんだかすごいものを読まされているし、ものすごく意味深なことが起きているのだが、その正体がちっともつかめずもどかしい、もっと知りたい、はやく教えてくれ!
言葉にするとこんな感じの感情でしょうか。
さらに、酩酊感や目眩を煽るように作品冒頭の感情むき出しの殴りつけてくるような文体も再び姿を現し、徐々にエスカレートしていくという……
例えていうなら『ドグラ・マグラ』イヤミス風アレンジといった印象の文章になっていきます。
後半はメンタルを煽られ、人によってはボコボコに殴られたようなダメージを感じることさえあるかもしれません。
ちょっと万人におススメできる雰囲気ではなくなっていくのが正直なところですが、イヤミスといい『ドグラ・マグラ』といい、心をざわつかせる奇妙な魅力があるものを巧みにミックスした文章力には一読の価値ありです。
いかがでしたでしょうか。
『坂の上の赤い屋根』の最大の魅力はその文章による表現力にあると思います。
読んでいる人間の心を逆なでしてくるような独特な感覚は、この作品ならではのものです。
ただ、冒頭にもちらりと書きましたが本作は同時に「惜しい」部分もあることは確かです。
最後のオチが途中で見えてきちゃうんですよね。
しかしこれは登場人物の少なさからいって、やむを得ない部分はあります。
それを差し置いても不思議な魅力を放っている作品であることは間違いないので、ぜひ手に取ってみてくださいね。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。