科学本だけど感動できる、豊かな人間賛歌ストーリー『妻と帽子を間違えた男』読書感想

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今回ご紹介する本はこちら

妻と帽子を間違えた男  オリヴァー・サックス  ハヤカワ・ノンフィクション文庫

作者は医者で神経医学を専門にしています。

医者として臨床の現場に立ち会いながらも、彼は多くの本を執筆しベストセラーを世に送り出している作家でもあります。

彼が書く本の多くは診療の現場で出会った患者の体験談であることが多く、本書にも24人の患者が登場します。

彼らの症状は熱や咳、あるいはガンなどといった名前で表現できるものではありません。

彼らの頭、あるいは体の中で「何か」が起こっているけれど、原因も、そして治療の方法すらわからないということも多々ある、珍しい症例ばかりです。

その一例がタイトルにもなっている「妻と帽子を間違えた男」です。妻と帽子を間違えた男は実在するのです。

しかし、この本のテーマは医師による珍しい症例を紹介することではありません。

患者たちは自分を襲った現実の厳しさに苦しみながらもその多くは症状と共に生きていく道を見つけ、たくましく新しい人生への一歩を踏み出していきます

医者である著者は、患者たちの勇気と知恵を時に誇らしく、時に優しく見守っています。

科学本なのに感動し、気が付けば夢中になって読んでしまう「人間賛歌」といって過言ではない素敵な本でした。

それでは、内容とこの本に著者が込めたメッセージをご紹介しましょう。

  


1.本書の内容(妻と帽子を間違えるとはどういうことか?)

まずは本書の内容をご紹介しましょう。

冒頭にも書いた通り、本書は医師である著者が臨床の場で出会った24人の患者たちの体験談です。

しかし、その症状は一般的な病気の症状とはまったく異なっています

例えば、本書の非常に印象的なタイトルである『妻と帽子を間違えた男』である音楽家の症状をみてみましょう。

その音楽家が著者のもとを訪れた時、著者は「なぜこの人は私(医者)に会いに来たのだろう」と思ったと書いています。

音楽家は音楽の才能に恵まれ、会話も機知に富んでいて面白く、とても魅力的な人物に見えたといいます。

一見何の問題も抱えていないように見える彼ですが、実は視覚に大きな障害を持っていたのです。

彼は目にするもの、全体を認識することが出来なくなっていたのです。

なんのこっちゃ? という感じでしょう。

おそらく、こういうことです。

私たちは人の顔を見る時、漠然と「こんな顔の人で、今こういう表情を浮かべている」と判断しています。

しかし、この音楽家の見え方は、「口が1つあって、目が2つあって、鼻も1つで……うん、これはなんだろう?」という感じだと思われます。

個々のパーツを見ることはできるし、三角四角…といった抽象的な図形を見るのも問題ありません。

ただ、顔という全部のパーツを一緒に認識することができなくなっていたのです。

だから、顔のパーツそれぞれが微妙な動きをして作る表情を読み取ることが出来ません。

そして、人間の顔を認識することも出来ずに、奥さんの頭を「これは帽子だろう」と思い込んで掴んでしまうのです。

漫才のような話ですが、実際に著者の目の前で音楽家は奥さんの頭をつかんでいたと言います。

なぜこんなことが起きるのか?

それは医者である著者にも推論しかできません。

目は情報を拾っているのに、それを統合する脳の中で何か不具合が起きているのだろう……と考えるしかないのです。

この本には、この音楽家と同じように、しかし全く違う個性的な症状に苦しめられている患者があと23人も登場するのです。

2.著者の語る患者それぞれのストーリー

「妻と帽子を間違えた」音楽家は、音楽の才能があったために症状が出てからも仕事を続けることができ、幸いにも人生を自分らしく生きていくことが出来ているようでした。

しかし、中にはそのまま放って生きていくことは1日たりともできそうにない症状に突然悩まされる人もいます。

ある日、突然体の傾きが検知できなくなったおじいちゃんの話を例にしましょう。

そのおじいちゃんは、著者に会いに来たとき、横倒しになりそうなほど体を傾けて歩いてきました。

一目でおかしいとわかります。

しかし、本人だけは「まっすぐに」歩いてきたつもりなのです。

水平感覚をつかさどる器官と視覚の連携がうまくいっていないのだろうと感じた著者は、おじいちゃんに鏡を見せてみることにしました。

「なんだこりゃ! 曲がってる!」

おじいちゃんは鏡を見れば、自分の姿勢を正しくまっすぐに戻すことが出来ました

視覚に頼れば、自分で姿勢を治せるとわかりましたが、それを日常生活にどう取り入れればいいのか?

それが問題でした。

ずっと鏡と、しかも姿見サイズの鏡と連れ立って歩くわけにはいきません。

しかし、なんとかしないことには病室から出た瞬間に転んで大けがをしないとも限らないこの状況。

見事な解決策を編み出したのは、なんとおじいちゃん本人でした

どんな解決策を編み出したかは、ぜひ本書を読んでみてください。

このおじいちゃんの解決策は、本人だけでなく他の多くの老人を救うことにもなったそうで、なんともガッツポーズをしたくなる爽快感のあるストーリーになっていました

著者の語る患者の物語の多くは、このおじいちゃんのように大変な障害と向き合わなければならない、けれども自分の知恵と努力で人生を前向きに生きていこうとする人の姿をえがいています。

そこには著者自身の患者との向き合い方、信念がよく表れています。

紹介する順番は前後しましたが、著者による前書きにこんなことが書かれています。

病気、特に神経や心理の病ではその人のアイデンティティと病気は切り離せない。何かが失われたとき、患者は混とんとした世界から回復しようと、必ず何らかの反応を見せている。この本は患者本人の病気の豊かな物語である。

『妻と帽子を間違えた男』まえがきより要約

かなり要約してありますが、だいたいこんな内容です。

著者は病気や症状を診ているのではありません。

患者本人を見ている、そう宣言しているのです

だからか、この本を読んでいると、必ず著者が患者と向き合った時に感じた印象(好意的にその人の魅力に目を向けている)を述べ、患者がその努力と知恵で人生を再びたくましく歩き出したときには惜しみない称賛と感動の言葉を贈っています

そこには患者を暖かな目で見守り、うんうん頷きながらリハビリを支える著者の姿が見えるようでした。

本書に書かれているのは珍しい症例ばかりですが、その症例を書くことがメインではありません。

著者が書きたかったのは、人間の無限の可能性、人生を取り戻す底力といった、人生の前向きな部分を知ってほしいということだったのではと感じています。

そして、この本を読んだ人にも、日常の困難に向かっていってほしいというエールを贈りたかったのではないかと思っています。

3.考えるきっかけになった優しい社会への道

本書を読んでいくと、著者のあたたかい人柄や患者たちの懸命な姿に感動させられるだけでなく、これからの社会について考えさせられるものがありました

そのきっかけとなったのが、この患者さんの症例です。

その患者さんは「からだのないクリスチーナ」という章で紹介されています。

その女性は、ある日突然、自分の身体の感覚がまるで消え失せてしまったといいます。

それはとても奇妙な感覚でしょう。

生きて、体はちゃんとあるのに、自分で上手く動かすことが出来ないのです。

人間には五感が備わっているというのは聞いたことがある方も多いでしょう。

味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして最近では6番目の「固有感覚」というものがあることもわかったそうです。

この女性が失ったものこそ、この「固有感覚」でした。

自分の身体の手や足がどこにあって、どんなふうに動いているか。

普段まるで意識しないでも歩いたり止まったり、複雑な動作ができるのもすべてはこの「固有感覚」があるおかげだそうです。

しかし、普段は意識されない「固有感覚」を失うと、ベッドから起き上がることすらできなくなってしまうんです。

幸いにもこの女性は、他の五感は失っていなかったので、なんとか自分の身体を元のように動かす術を身に着けることが出来ました。

けれども、やはり他の人々と全く同じようにスムーズにとはいきません。

バスに乗るだけでも、彼女にとっては一苦労です。

しかし彼女は見た目はそんな重度の障害を追っているようには見えません

だから心無い声「なにをもたもたしてるんだ!」を浴びせられることもあるのです。

これに対して、著者は憤りを見せたり、クリスチーナの意志力に感銘を見せたりと正直な心の葛藤を文章に表していました。

こういった事例は、クリスチーナに限ったことではありません。

障害は見た目にわかりやすくでるとは限らない、説明しようにも患者自身も医者ですら状況を正しく説明できないような過酷な運命にさらされている人々もいるのだと、この本を読んで知りました。

こういう人々にも優しい社会を築くにはどうしたらいいのだろう?

私の中にこの問いが生まれましたが、答えはでないままです。

簡単に答えが出る問いでないことだけが分かっている状態です。

でも、この本を読んで、知ることが出来て、良かったと思います。

まずは知らなければ、考えるスタートラインにすら立てません。

だからできるだけ多くの人に、本書を読んで知ってもらいたいと願っています。


いかがでしたでしょうか?

本書は医学をテーマにしつつも、様々な症状に悩みながらそれを克服する患者たちのストーリー性豊かな物語でもあります。

普段は小説を読むことが多い人でも、人間ドラマが豊富な本書は読みやすいのではないかと思います。

事実は小説より奇なりという言葉がよく似合う本でもあります、見かけたら手に取ってみてくださいね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

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