読書感想|王道ファンタジーを面白くするには(東の海神 西の滄海、小野不由美)
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東の海神 西の滄海(十二国記シリーズ) 小野不由美 新潮文庫
十二国記シリーズのエピソード3ですね。
エピソード1、2にも少し登場していた延王と延麒が主人公の物語です。
お話の筋自体は非常に王道で、ラストがどんな終わり方をするか、予想できる内容です。
こう書くと「つまらない本なのかな?」って思われるかもしれません。
しかし、小野不由美先生の手にかかれば王道ストーリーもハラハラと、面白いものに出来上がるのです!
その工夫の仕方を、私なりに考察しましたので書いていきたいと思います。
これ以降、ネタバレありです。どうぞ!
目次
1.おおまかなあらすじ
2.面白さ、3つの工夫
1.おおまかなあらすじ
延王・尚隆が即位して20年。
雁国は前王が招いた国土の荒廃をなんとか盛り立て、少しずつ平和な世の中を実現している途中である。
しかし延王と延麒・六太は今日も臣下たちに怒られていた。
理由は朝議に出席しない、報告を聞こうとしないなど、王とその補佐役である役目を十分に果たしもせず、
街に出かけて遊んでばかりいるというもの。
しかし、そんな臣下たちの怒りにも尚隆は真面目に取り合わずのらりくらりと躱してばかりいる。
六太も自らが選んだ王でありながら、勝手きままな尚隆の様子にあきれていた。
そんなある日、六太のもとに一人の客がやってきた。
それは数年前に偶然出会った、妖魔を育ての親に持つ更夜であった。
再会に喜ぶ六太だが、更夜の目的は六太を自身の雇い主である斡由の元に連れ去ることにあった。
流血沙汰を嫌う六太は赤ん坊を人質にとられ、更夜に従い斡由に囚われることとなる。
雁国の一地方の長である斡由の目的は、尚隆の王位よりも上位につき、雁国を支配することにあった。
斡由は、尚隆に水害防止の堤防建設の依頼をしてもなしのつぶてであり、
国政をまともに執る気がないならば民のためにも自分が王の代わりを務めるという。
斡由の周りには更夜をはじめ、彼を慕っている者たちが大勢おり、民を思う気持ちも伺える。
六太は、職務怠慢と言われても仕方のない尚隆と斡由を比べ、尚隆の自業自得ではないか、と思ってしまう。
思えば六太の生まれた国にしても、王がろくでもないばかりに戦争が絶えず、
困窮した両親によって六太は捨てられた過去があった。
六太には王というもの自体が信頼できない……では、尚隆は信じられるのか?
軟禁状態の中、尚隆との出会いに思いをはせる。
尚隆は生まれついた国でも王となる身分であった。
生国でも尚隆は好き勝手に振舞い、王らしくはちっともなかった。
しかし、その民を思う気持ちは本物ではなかったか。
一方、六太を救出するために尚隆は斡由の軍との戦いに備え軍備を整えつつ、自身は単身、斡由の元に潜入する。
そして軟禁状態から抜け出した六太は助けに来た尚隆で出会い、二人は斡由の前に揃い立つ。
民のためと言いつつ身勝手に勝ち目のない戦争を起こそうとした斡由。
怠慢そうに見えて、一人の民をも無駄死にさせたくないと願う尚隆。
どちらが雁国王に相応しいかは明白であった。
王位が欲しいのであれば一騎打ちをすればいいという尚隆に、切りかかった斡由は返り討ちに遭い、
斡由の反乱は幕を閉じた。
2.面白さ、3つの工夫
雁国の国王を相手取った反乱の一部始終が描かれる本作、視点はほぼ国王側に置かれることになるので、
読み始めると、「この反乱は国王側の勝利で終わるのだろう」と予想できます。
そして、その通りの結末で終わります。
小説を読む時に「この人が犯人だ」「この後こうなるな」とバレバレの展開だと、せっかく読んでも面白さは
半減してしまいます。
『東の海神 西の滄海』はまさにそんな予測可能な作品で、あらすじだけ聞くと面白くなさそうなんです。
しかし、それでもこの作品は面白く、最後まで早く読み通したい、という読書ならではの楽しみを感じられます。
その理由は何なのでしょうか?
私なりに3つ、その理由を挙げてみます。
理由その① 主人公=六太=読者
本作の主人公は六太です。
六太は延麒という、雁国の王を選び王を補佐する存在です。
本来なら、自分が選んだ王に対して信頼も思い入れもあってよさそうなもの……なのですが、
六太はいまいち、尚隆のことが信じ切れていません。
それは六太の生まれに理由があり、王という存在そのものが信じられない、というトラウマを持っているからです。
これにより、反乱者である斡由の言動にも一理あるのではないか、と六太は思ってしまうのです。
そして、六太の視点を通して物語を垣間見ている読者にも、その気持ちは伝染します。
尚隆と斡由の間で、六太と同じように気持ちが揺れ動いてしまうのです。
きっと尚隆が勝つに違いない…でも、斡由はどうなってしまうんだろう?
読者が同化しやすい主人公を使った上手な誘導により、斡由にもまんまと感情移入させられるのです。
反乱の勝敗の行方は明らかでも、敗者側がどうなってしまうのか?
そこを不透明にすることでストーリーに緊張感(=面白さ)を出すことに成功しています。
理由その② 尚隆の過去
準主人公と言ってもいい尚隆は、出番はそんなに多くないですが存在感は抜群です。
序盤から中盤まで、彼に関する描写はあまり好ましいとは言えません。
むしろ意図的に貶めて描かれています。
しかし、終盤が近づくにつれ、彼の魅力をどんどん引き出すことで、尚隆こそが王に相応しいと確認でき、
反乱が鎮圧されて終わるというラストに爽快感がもたらされるのです。
この爽快感を出すために、尚隆は立派な王であるという描写が必要になってきます。
そして作中で、尚隆が持つ王の資質として描かれているのが、国とは民であるという信念を持っていることです。
この信念を尚隆は持っている人なんだよ、とただ書くこともできるのですが、
そこは盛り上がるように工夫がされています。
その工夫は、反乱が起こっている現在と交互に、並行して描かれる六太の過去の回想シーンに施されています。
回想では生まれてから親に捨てられ、麒麟だと分かり、王を選びに尚隆と出会い、そして彼を王に選ぶまでが描かれます。
尚隆は生国でも王になるべく生まれてきた身分ですが、やっていることは延王である現在とあまり変わりません。
民に交わり、好き勝手に酒など飲んでちゃらんぽらんとした日々を過ごしています。
この人が王になって大丈夫なの?と六太でなくとも思います。
しかし、徐々に戦火が尚隆の生国をおかし始めると、尚隆は国よりも民を優先的に守ろうと苦心します。
そして、回想のクライマックスでは尚隆が民を思う気持ちが、激情ともいえる苛烈さで表現されるのです。
尚隆にとって国とは民である、という信念が過去に根差したものだとしっかりと伝わります。
尚隆の過去がどうであったかは、直接は現在の物語に関係ありません。
しかし、登場人物の魅力を最大限引き出す際に欠かしてはならないのが、その人の過去でもあります。
その人が何を思い、何を失い得てきたのか、これらが現在の言動に影響を及ぼしていることが読者に伝わると、
生きた人間と対面したときと同じ魅力を、登場人物にも感じることができるのです。
雁国で起こった反乱の際、起こってしかるべき軍同士の衝突も、外交官の殺害も、本書では一切発生しません。
尚隆が民同士が血を流さぬように、事を運んだからに他なりません。
ここでも尚隆の矜持を表現していると同時に、彼の魅力も表現しています。
尚隆を単なる反乱を収めた英雄として描くだけでなく、過去に根差した確固たる信念の持ち主と描くことで、
より面白さと納得感を感じることができるのです。
理由その③ たまに入るフォロー
理由その①と②で、主だった本書の面白い理由は述べたつもりですが、あともう一つだけ。
現在の尚隆の描写にも注目して欲しいと思います。
②でも書きましたが、尚隆の本質は信念を持った民を思う立派な王なのです。
しかし、現実に臣下や六太、民に見せている姿はちゃらんぽらん、政務もさぼりがちです。
読者はクライマックスにいくまで、尚隆の本質はわかりませんから、序盤から中盤にかけては、反乱が起こっても
変わらずマイペースな尚隆の様子に少しハラハラさせられるわけです。
しかし、小野不由美さんは読者へのフォローも忘れません、笑。
時折、尚隆は実は切れ者…?と思わせる描写を少しずつ入れてくれています。
民から吸い上げた情報であったり、軍の徴集のしかたであったりと、臣下たちに適切なアドバイスを施しています。
このフォローがあるおかげで、どうやら尚隆は真のバカ殿ではなく、応援しても良さそうだぞ、と読者は
安心することができるのです。
いかがでしたでしょうか?
今回ご紹介した作品の主人公である六太と尚隆は、エピソード1、2にも少しだけ登場していて、
主役でもないのに抜群の存在感を放っていたキャラクターです。
どんな人たちなんだろう? とすごく気になっていたので、本書でその魅力に迫れて、
そういう意味でも楽しい読書になりました。
これまで読んだ十二国記シリーズを紹介しているページもありますのでそちらもご覧いただければ嬉しいです。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
よろしければ感想など、コメントを残していってくださいね。
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