読書感想|あなたの心にずっと残る1冊になります、パイロットフィッシュ(大崎善生)
元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!
今日は2001年出版の本をご紹介します。
『パイロットフィッシュ』 大崎善生先生 (角川文庫)
18年前の本ですね。再読本です。
最初に読んだのが2012年でかなり昔なので内容は朧気にしか覚えていなかったのですが、心のどこかに「絶対にもう一回読むべき本だ」とひっかかっていました。
本をたくさん読んでいると、内容はもちろん、タイトルすら忘れてしまう本もそれなりにあります。
その中で、ずっと心のどこかに残っていたこの一冊。
あなたにとっても忘れられない一冊になる可能性を秘めた素晴らしい本だと思います。
目次
1.おおまかなあらすじ
2.川上由希子、別れた後の人生
3.山崎隆二のこれまでとそれから
4.パイロットフィッシュとは
1.おおまかなあらすじ
珍しく最後まであらすじを書き切ります。
ネタバレしてもこの作品の面白さには全く影響しないと考えたからです。
それでも嫌だという方はご注意ください。
編集者の山崎隆二は夜中に一本の電話を受ける。
それは19年前に別れた川上由希子からの19年ぶりの電話だった。
山崎は記憶の中から由希子と出会った大学生のころを思い出す。
彼はバイトを探して迷子になり、ヘロヘロになってたどり着いた喫茶店で、親友の伊都子に恋人を奪われたと言って泣いている由希子と出会う。
由希子を励まそうとする山崎に、由希子は連絡先を渡す。
それから数か月後に二人の交際はスタートするが、山崎のバイト先の店長の死をきっかけに、山崎と伊都子は関係を持ってしまい、由希子と別れてしまう。
そして現在、「19年ぶりに会いましょう」という由希子に山崎は再会を約束する。
一方、現在の山崎は恩人でもある編集長の沢井が死の床に就いており、19歳年下の恋人七海がいる。
沢井が死に、七海と会い、 山崎は今の編集の仕事ではないことをやってみようと考え始める。
そして由希子と再会する日がやってきた。
由希子は旦那と伊都子との関係に苦しみ、山崎の同僚の編集者と危なっかしい関係を持ったりと、現状に苦しんでいる。
彼女は19年前の山崎と別れた選択を、誤っていたのではないかと恐れている。
山崎はそんな彼女に、「僕たちの関係はずっと続いていく」と告げる。
二人はそのまま別れ、山崎は由希子のことをずっと忘れないだろうと確信する。
2.川上由希子、別れた後の人生
19年前、山崎と伊都子の関係がきっかけで別れた川上由希子は、その後山崎との連絡を絶ち、引っ越しまでして彼からの接触を拒みました。
そして彼女は結婚し、2児の母になりますが、現在は幸せな結婚生活を送っているとは言えません。
山崎との関係は絶ったのに、親友の伊都子との関係は切らなかった由希子は、またも彼女に配偶者を奪われているのです。
そして、やけになった彼女は適当な男と関係を持とうとしますが、なんとその男が山崎の同僚。
それに気が付いた由希子と同僚は結局ただの飲み友達になります。
同僚編集者と気づいたとき、由希子は「今も山崎君に守られているんだ」と思ったと言っています。
守られた、という表現を使っていますが、由希子にとって、2連発のショックな出来事だったと思われます。
19年前のトラウマになっているであろう出来事を思い出すのに十分な偶然です。
由希子が19年前に自分から音信不通にした元恋人に、突然連絡を取ろうと思っても不思議ではない、と感覚的にわかります。
彼女はおそらく山崎と別れたことを、その時は正しいと思い込もうとしていたのでしょうが、ここにきて、誤魔化しきれなくなったのでしょう。
二人が別れたきっかけは伊都子ですが、伊都子に付け入るスキを与えたのは他でもない由希子です。
山崎にとって大切な人が死んだときに、由希子はなぜか彼女として山崎のそばにいなかった。
当然山崎にも怒りは感じていたでしょうが、彼女が一番悔いて怒っていたのは山崎を放っておいた自分でしょう。
そして由希子は、山崎と自分を罰するために、別れるとき、会うことを頑なに拒みました。
その当時はこれでいいと思っていたことも、振り返ると恥ずかしくなることや、もっとやり方があったはずだと思い返すことはよくあることです。
由希子も今ある不幸は、別れるときにちゃんと山崎と会って話をしなかったからだ、そう考えたのかもしれません。
けじめをつけたかったのか、自分が別れたという選択はやはり正しいと確かめたかったのか、ただたんに山崎に謝りたかったのか、由希子の心情にはいくつもの候補があげられますが、どれかは定まりません。
おそらくそれら全部ひっくるめて由希子の感情だったのではないでしょうか。
ごちゃごちゃしたものをクリアにしたくて、由希子は山崎に会いに来た。
人間の感情は実生活がそうであるように簡単に割り切れるものではありません。
そのあたりがうまくぼかしてあって、想像力が刺激され、読者は考えさせられることになります。
この辺の、明確にならないものを残すことで、作品が忘れられないものになるんですね。
3.山崎隆二のこれまでとそれから
作品の主人公でもある山崎は由希子と別れた後、どう生きてきたのでしょう?
彼は由希子と別れた後、そのまま何を変えるでもなく、目の前の現実を淡々と受け入れてきたという印象を受けます。
就職先も19年前と変わらず同じ会社に勤め、仕事内容も変わらないまま。
恋人はできたけど、その恋人も仕事の延長線上、成り行きでできた関係です。
変化はあるけれど、彼はずっと同じところにとどまり続けたと言えます。
これだけで山崎は19年前のことをとても後悔しているのだという印象を受けますね。
しかし、由希子との19年ぶりの再会(再電話?)をきっかけに、やっと彼は重い腰をあげようとします。
現在の恋人である七海と、自分自身のために、職を変えようと思い立つのです。
何が彼をそうさせたのでしょうか?
物語の開始から、彼の周りでは重要な変化が2つ起こりました。
一つが恩人である沢井が死んだことです。
恩人の沢井が死んだことは大きなきっかけですね。
職場にしがらみもなくなり、さらに沢井は「仕事を変えろ」と遺言まで残したのですから。
そしてもう一つは由希子との再接触です。
由希子からの連絡で、山崎は忘れていたかに思っていた過去に一気に引き戻されます。
作中に何度も例えられていますが、水の中に沈んでいたものがふとした時に浮かび上がってくるような感覚です。
彼はそれにより、一度は完全に縁が切れたと思っていた由希子とも、一生別れることはない、記憶は自分の中に残り続けていると確信します。
由希子と別れたときのままでいた山崎は、無意識に彼女とのつながりを感じていたかったのだ、と思うのは感傷的すぎるでしょうか。
記憶により彼女と繋がっていると考えた山崎は、現在の恋人の七海と自分の生活と向き合うこと決心がついたように思えます。
遅いでしょ!と女の私などは思うのですが、誰にもこういう部分はあるのかもしれません。
何年経っても消えない傷や残しておいてしまう思い出の品なんかがその象徴です。
4.パイロットフィッシュとは
作品のタイトルにもなっているパイロットフィッシュ、これは水槽作りに関する言葉です。
魚を買う水槽の環境を整えるために、まず最初に飼う魚のことをパイロットフィッシュと呼びます。
パイロットフィッシュが水槽の中によいバクテリアをもたらすことで水環境がよくなり、そのあとに飼う他の生物が暮らしやすくなるのだそうです。
水槽って、闇雲に掃除していればいいってわけじゃないんですね。
自然環境のように、飼っている生き物、水草、目には見えない微生物と、生態系を作るつもりでいなければならない。
掃除のやりすぎはよくない、全部作中の受け売りですが、勉強になりました。
このパイロットフィッシュですが、人生にも当てはまるのではないか、と作家は考えているようです。
確かに、山崎にとってパイロットフィッシュに当たると思われる人物がいますね。
バイト先の店長渡辺と、職場の恩人沢井です。
渡辺は山崎と由希子の関係がよいまま続いていくように、沢井は編集者として育っていけるように、山崎のための環境を整えていたパイロットフィッシュのような働きをしていました。
しかし、渡辺は死に、結果的に由希子が水槽からでていってしまいました。
そして沢井も死に、山崎も水槽から出ていく決意をしたばかりです。
人生というのは、住む水槽を変えていくように例えられるかもしれません。
魅力的にみえた環境が駄目になれば別の水槽にうつり、住み心地が良くても出発しようと決意することもあります。
残念ながら由希子のように、変えたと思った水槽に一緒についてきちゃった悪いパイロットフィッシュにいつまでも悩まされることも人生ではままありそうですね……
自分はいくつ水槽を変えてきたのか、思い返すのはなんとなく怖いですね。
しっかりと意識して過去に会いに来た由希子は強いメンタルの持ち主かも……
いかがでしたでしょうか?
この作品では山崎と由希子の恋愛関係を通して、環境を変えることの難しさ、過去は消して消えてくれないなどの作者独特の人生観が浮き彫りになりました。
文章表現が美しく、読みやすいのに純文学的に真摯に考えさせられるテーマも内包しており、とても読み応えのある作品だったと思います。
かなり昔の作品なので、連絡の取り方が家電だったり、住所の交換だったりと、時代を感じさせますね。
でも描かれているテーマは普遍的なものですので、今でも十分に楽しめ、そして考えさせられます。
また、数年後、人生のステージが変わったころに読み返したいと思える。そんな作品です。
念のためチェックしたら、Amazonでまだ取り扱ってました。
息の長い作品ですね。
落ち込んでる時より、精神的に余裕があるときに読んだ方がいい作品だと思います。
非常に感傷的になり、考えさせられますので^^;
ここまで読んでくださってありがとうございました!