これぞ平成の「奇書」!? 京極夏彦さんのデビュー作『姑獲鳥の夏』を今更紹介:読書感想
こんにちは、活字中毒の元ライター、asanosatonokoです。
今回ご紹介する作品はこちら
姑獲鳥の夏 京極夏彦 講談社文庫
京極夏彦さんのデビュー作です。
1994年が本作の発表された年のようです、今から約30年前ですね(2023年現在)。
かなり前の作品にもかかわらず、いまだに根強い人気を見せており、時折デラックス版が出たりしているようです。
よく「デビュー作にはその作家のすべてがつまっている」なんて格言めいた言葉が読書界隈では囁かれていますが、『姑獲鳥の夏』はそれを体現したような一冊です。
これを読めば京極夏彦がどんな作家なのかわかります。
これを読んで面白いと思えばあなたは京極夏彦の他作品も楽しめるでしょう。
京極夏彦のすべてがつまったデビュー作、ご紹介していきましょう。
1.今更なんで『姑獲鳥の夏』?
さて、『姑獲鳥の夏』をご紹介する前に少し余談を。
というのも「なんで今更『姑獲鳥の夏』なんだ?」ということなんですね。
冒頭にも書きましたが、もうけっこう昔の作品なんですよ。
今でも新刊が本屋で余裕で手に入りますが、なんでこのタイミング? という疑問に応えておきましょう。
それは、この記事を書いている現在(2023年10月)、『百鬼夜行』シリーズのひっさしぶりの新刊『鵼の碑』(ぬえのいしぶみ)が発売されたからなんですね!
『百鬼夜行』シリーズというのは『姑獲鳥の夏』から始まる古書店・京極堂の店主・中禅寺秋彦とその周囲の個性豊かな友人・知人たちが織り成すミステリシリーズの名前です。
『百鬼夜行』シリーズは京極夏彦の代表作であり、映画化・コミックス化などのメディアミックスも盛んですし、京極夏彦公認のもと、多くの小説家さんたちの手によるスピンオフ小説も多数出版されたりと、ロングセラーかつベストセラーとなっているシリーズ群なんですね。
とはいえ、最近新刊が発表されていなかったので私も含むファンたちは寂しがりつつ、新刊が出ることをワクワクと期待していたわけです!
そしてついに出た『鵼の碑』。
本屋でも絶対に平積みされたり特集されていると思うのですが、見かけた方がまず驚くのはその分厚さでしょう。
お弁当箱かいな。
それくらい分厚い。
こんなの全部読めるんかいな。
読めます! たぶん……
ちょっと言葉を濁している理由は後述するとして、『百鬼夜行』シリーズを初めて知った方のドギモをまずは抜くであろうその分厚さはシリーズの特徴でもあります。
『姑獲鳥の夏』はそのシリーズの一番最初の作品にして、京極夏彦さんのデビュー作なんです。
ぶ厚さはシリーズ中でも薄い方で約2センチくらいでしょうか?
それでも普通の文庫本化1センチくらいの厚さですから倍はあります。
長編というより大長編、それが『姑獲鳥の夏』を始めとする『百鬼夜行』シリーズです。
少し話が脱線しましたが、ファン待望の新刊も発売したことだし、その記念に再読し(もう何回読み返したかわかりません)、その面白さに再感動しましたので「これはぜひご紹介したい!」と書き始めたのでした。
2.簡単なあらすじ
さて、前置きが長くなりましたがここから『姑獲鳥の夏』の魅力をご紹介していきましょう。
まずは簡単なあらすじからです。
お話は『百鬼夜行』シリーズの主要登場人物の一人である関口巽(せきぐちたつみ)が友人である中禅寺秋彦のもとを訪れるところから始まります。
関口の職業は作家。文学作品を書いていますがそれだけでは食っていけないので雑誌にホラーまがいのゴシップ記事を書くことで生計をたてています。
そのため、関口は日々「怪しげな噂」や「たぶん嘘っぽい怪談」の類が持ち込まれるのですが、それを記事に仕立て上げるため、相談相手にしているのが中禅寺、という設定です。
中禅寺秋彦という人物は表向きは古書店主を営み、その裏で神社の神主もしておりお祓いを稼業としているため、怪談めいた話の相談にはもってこいの人物なのです。
ちなみに、中禅寺の営む古書店の名前は「京極堂」といい、この屋号が彼のあだ名となり、作中ではほとんど「京極堂」の名前で呼ばれています。この記事でも作品にならい、以下、京極堂の名前で呼びたいと思います。
今回、関口が京極堂に持ち込んだのは「人は20カ月もの間、妊娠し続けられるか?」というもの。
東京にある由緒正しいらしい産婦人科医の娘が20カ月の間、子どもを産むでもなく、流れるでもなく身ごもり続けているという噂が流れていたのです。
しかも、その産婦人科一族には他にも黒い噂がたくさん。
いわく、娘婿が行方知れずになっている。
いわく、あの産婦人科では生まれた赤ん坊がいなくなる。
いかにも世間の興味をひきそうなゴシップネタにあふれている産婦人科、その病院を営む一族の名前は「久遠寺」といいます。
相談を持ち込まれた方の京極堂は「この世には不思議なことなど何もないのだよ」と関口に語り、ほとんど相手にしようとしません。
が、話をするうちに久遠寺の娘婿となり現在行方不明と言われている男が京極堂、関口の大学時代の先輩であることが判明します。
こうなると無関係とは言えなくなった京極堂。
彼は関口にこうアドバイスします。
榎木津のところに行って相談して来い。
榎木津礼二郎(えのきづれいじろう)も2人の大学時代の先輩になり、超イケメンかつ、実家は旧華族という由緒正しい生まれ育ちの青年です。
しかしこの榎木津、一筋縄でいかないどころか誰にも制御不能な暴走男でもあるのです。
その証拠に(?)彼は定職にもつかず(つけず?)、自称「探偵」と名乗り流行りもしない事務所を構えています。
そこにノコノコと相談に訪れた関口。
しかし、その日、珍しく榎木津の元には依頼人がやってきました。
現れた依頼人はうら若き美女。
しかも彼女の名前は「久遠寺」。
関口が調査対象としている病院一族の娘だったのです。
美女の依頼を受けて調査の名目で久遠寺病院へ乗り込むこととなった関口と榎木津。
そこではいったい何が待ち受けていたのでしょうか……?
3.平成の「奇書」
日本三大奇書、という言葉をご存知でしょうか?
夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』の3作品が該当するのですが、3作品の特徴を一言で言えば「読むと頭がおかしくなりそう」な作品だということです。
そもそもの作品の内容自体が難解な上にどこか酩酊感があるというか、こちらの常識や思い込みをぶち破ってくるインパクトがあるというか……まずは作品を読み通すことが難しいくらいに脳天直撃の精神攻撃をくらったようなダメージを与えてくる作品たちです。
誤解せずにいただきたいのですが、この3作品はどれもちゃんとした小説です。
その証拠に3作品はいずれも昭和以前に発表された古い作品ですが、今でも書店で簡単に手に入ります。
「読むと頭がおかしくなりそう」という感想が好奇心を生み、実際に読むと本当に頭がおかしくなってくる効能があるので、それゆえに一度読んだら誰かに感想を伝えずにはいられなくなり、その感想が再び好奇心を生み……と、作品宣伝の無限ループが出来てるんでしょうね。
なんにせよ、いまだに多くの人々を惹きつけてやまない3作品です。
ちなみに『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』は青空文庫という電子図書館で全文無料で読めます。興味のある方はネット、アプリで探してみてください。
さて、ここからが本題ですが、日本三大奇書はいずれも昭和以前の言ってしまえば「古典」に足を突っ込んでいる作品たちです。
今の時代は既に令和になり、昭和から見ても既に年号が2回も変わっています。
その間、日本の文芸界には「奇書」と呼べるくらいのインパクトある作品は生まれてこなかったのか!?
……そんなわけはありません。
だいぶ昔になりますが、X(その当時はTwitter)で「平成以降の作品で奇書ってあるのかな?」と呟いたところ、出るわ出るわ……皆さんから多くの推薦作品が寄せられました。
その中にランクインしていたのが『姑獲鳥の夏』です。
確かに、『姑獲鳥の夏』は今でこそ人気シリーズの第1作目としてしっかりとミステリ作品としての地位を確保していますが、実は発表された当初は批判もけっこう寄せられたそうなんですね。
これはミステリと言っていいのか?
ミステリではこんなオチ、タブーなんじゃないの?
こんな声があがっていたようです。
それもそのはず、最後まで読むとわかるのですが『姑獲鳥の夏』で解き明かされる謎はかなり、斬新な内容なんです。
私も初読時は「まじでそんなことある!?」とその真相の一部にかなりの驚きを感じた記憶が今でも鮮明に残っています。
このオチはない、と感じた読者がいても仕方ないかなあと思われる「こんなんあり?」なネタではあります。
そもそも、京極夏彦さんのデビュー作でもある『姑獲鳥の夏』は通常、小説家になるために通り抜ける作品公募という狭き門を潜り抜けた作品ではありません。
本当かどうかは知りませんが、当時別の職業に就いていた京極夏彦さんが仕事の合間に『姑獲鳥の夏』を書き、編集部に直接持ち込んだことがきっかけだったんですね。
だからこそ、発表当時に読んだ人たちも「本来くぐるべき厳しい審査の目を通ってこなかったこの作品をどう評価していいものか?」と疑心に駆られつつ読んだゆえの批評だったのかもしれません。
しかし! ここで声を大にして言いたい!
『姑獲鳥の夏』は傑作であり、ミステリとしても十分通用する作品だということを!
まあ、私が声をあげなくともその後の京極夏彦さんの活躍っぷりやシリーズの好調具合も見れば『姑獲鳥の夏』が傑作であることは間違いないわけなんですが^^;
せっかくなので私が『姑獲鳥の夏』を傑作だと思う理由を一つだけ、挙げておきたいと思います。
その理由というのが、「何度読んでも面白く、何度読んでも新しい発見がある、再読に耐えうる作品である」というものです。
私は年間、300作品くらいは小説だけで読んでいます。
基本、どんな作品でも面白く読めてしまう人ではあるのですが、そこにはやはり「差」というものがでてきます。
「これは面白い!! もう一回読みたい!」と思えるものもあれば「面白かったけど……まあ1回でいいかな」と思ってしまうものまであって、それは私の作品の好みの問題であることもあれば、作品自体にどれだけの力や魅力が込められているかにもよります。
私が傑作の条件だと思っているものは「読み終わった後にもその作品のことを考え続けてしまうような余韻が残ること」と、「何度でも読み返したいと思わせる中毒性があること」の2つです。
どちらも、作品が読んだ人の中に爪痕をくっきりと残すほどの力がなければクリアできません。
『姑獲鳥の夏』はこの2点ともに、十分な爪痕を残してくれました。
読書記録によると、もう4回は読み返していることになります(分厚いのにね)。
オチだけを見ると『姑獲鳥の夏』はミステリとしてはタブースレスレの内容で「奇書」と感じられるほどの奇抜さ、有り得なさで批判されるのもわからんでもないですが、そのオチに至るまでの構成、伏線は見事なものです。
昭和の奇書三作品は問題作という意味もこみの奇書でしたが、『姑獲鳥の夏』は稀有な傑作という意味をこめての奇書と言えるでしょう。
4.読み飛ばしても構わない、けど……
ここまで、何度かキーワードのように「分厚い」という単語が出てきていますが、『姑獲鳥の夏』を読みだすうえで最大の難関になるのも本書の「分厚さ」にあるだろうという気がします。
事実、リアルで何人かに『姑獲鳥の夏』をおススメしたところ「あの分量を読み切れる気がしない……」としり込みする方がほとんどでした。
まあ、確かに……としり込みする気持ちに頷けるものがあります。
読み切れるのか心配。
カバンに入れて持ち歩くのに重い。
そもそも本屋から持ち帰るのも重い。
などなど、分厚い本に抵抗を覚える方は多いでしょう。
本自体が重いことはもう仕方がないとして、読み切れるか心配、という方に私から少しだけアドバイスをさせていただきたいと思います。
読み切れるか心配になるほどの文章量を誇る『姑獲鳥の夏』ですが、その中身のかなりの部分は主人公格である京極堂と、その愉快な仲間たちの会話に引き裂かれています。
特に、京極堂による「うんちく」が多い!
その内容はというと、誰かが(関口であることが多い)京極堂に対して何か疑問や相談を持ち込んだ際に、その回答を端的にするのではなく、「それって今の相談内容と何か関係あるんでしたっけ?」という一見無関係に思える話題を延々と語った後に、その相談内容の回答の核心部分が返ってくるという、紆余曲折、針小棒大な論法が用いられているからなんですね。
この長い長いうんちく、実は読み飛ばしても構いません。
読み飛ばすと、確かに『姑獲鳥の夏』が持つ本当の魅力に気づきにくくはなります。
しかし、物語の主要な流れを掴む分には、読み飛ばしてしまっても何の問題もなく、しかもお話の主要な流れを追うだけでも十分、面白く読めてしまうのです。
なので、重い文章量に自信がないという方は、まずはうんちく部分は読み飛ばしてお話の流れだけを頭に入れるように読み切ってしまいましょう。
多分、普通の文庫本くらいの文章量に収まるはずです。
そして、可能であれば2回目、3回目と読み返す時に、徐々にうんちく部分を読み進めるようにしてみてください。
お話の流れが既に頭の中に入っていると「このうんちくの矛先がどこに向かっているのか」を意識しながら読めるようになるので、格段に読みやすく、理解しやすくなっていると思います。
そして、うんちく部分も頭の中に入ってくると『姑獲鳥の夏』は何倍も魅力を増す作品であるということを実感できると思います。
『姑獲鳥の夏』は分厚いだけあって、普通の文章量の作品よりもお値段がお高めになっております(紙代? 印刷代?)
なので、繰り返し楽しむことで元をとることもできて、ちょっと嬉しい気持ちにもなれるというオマケつきです(笑)
いかがでしたでしょうか?
『姑獲鳥の夏』は歯ごたえのある作品ですが、読みこなせると何度でも読み返したくなる魅力あふれる作品です。
魅力にハマった方は次巻『魍魎の匣』に続く『百鬼夜行』シリーズにも手を伸ばしてみてくださいね!
どれもとても面白く、そして分厚い作品ばかりです(笑)
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。