いかにも横溝正史!な世界観、しかしそれすらも利用した力作ミステリ『支那扇の女』読書感想

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今回ご紹介する本はこちら

支那扇の女  横溝正史  角川文庫

青白い顔をした一人の女性が扇を手に、無表情にこちらをじっと見つめている……

そんな一枚の肖像画が表紙になっている『支那扇の女』。この肖像画は作中でも重要な意味を持った小道具として登場します。

なんだか薄気味悪い絵だし、モデルの女性も薄幸そうで、なんでこんな肖像画を残したんだか……その疑問は作品を読めば明らかになります。実は、本当に趣味の悪い絵なんです。

金田一耕助シリーズが2作収録されている本書、テーマは「打算された殺人」といったところでしょうか。トリックや人間関係も一ひねりしてあってミステリとしても面白いですが、自分本位の暴力の怖さも感じさせる2作品でした。

それでは、あらすじと感想をまじえながら作品をご紹介していきましょう。

1.『支那扇の女』

表題作にもなっている『支那扇の女』、まずは簡単なあらすじをご紹介しましょう。

物語が始まるきっかけは1冊の本。タイトルは『明治大正犯罪史』。タイトルだけでどんな本かわかりますね。名探偵・金田一耕助が作家・横溝正史に貸し与えたこの本の中には「支那扇の女」という名前で恐ろしい毒殺事件が紹介されています子爵夫人が夫と義母・義妹の毒殺を企んだとされる事件で、明治19年ごろの話とされています。

それから70年後の昭和32年の8月、早朝に事件が発覚します。盗難事件が続いている東京の高級住宅街、成城の町を警察官がパトロールしていると、一人の女性が家から走り出してきました。不審に感じた警察官が女性を追うと、彼女は自殺しようとするから大変です。すんでのところで女性を踏みとどまらせたまでは良かったけれど、彼女が飛び出してきた家には女性の惨殺死体が2人分……

捜査を開始する警察と金田一耕助ですが、謎は膨らんでいくばかり……

と、以上があらすじになります。

事件現場になった家から走り出てきた女はその家の主婦彼女は警察に保護された後も何度も自殺未遂を繰り返すのですが、その理由になんと70年前の毒殺事件が絡んできます。金田一耕助シリーズにもよくある「先祖からの宿業」なんていう、いかにもな設定が使われています。先祖が犯した罪が子孫にも遺伝する、みたいなやつです。

さらに事件が起きた家の当主も登場しますが、これが取り調べると怪しさ満点で、警察は簡単に目を付けますが読んでるこっちは「よくあるミスリードか?」と勘繰ってしまうような展開。

こう並べてみると、「いかにも」「よくある」なミステリのお決まりを踏んだ単純な作品、のように思えるのですが、なかなかどうして「えー、そうだったの!?」と思わされる意外な決着の仕方をします。

「いかにも」「よくある」と思っていた設定や展開は、不気味さを出す演出やミスリードっぽさを出すだけの役割にとどまらず、事件の真相にも大きく関わってくる「仕掛け」になっていました。

作家としての自分の持ち味を演出しつつ、それすら利用して作品を組み立てる……超絶技巧が横溝正史の頭の中では繰り広げられていたようです。

2.『女の決闘』

2つ目の作品『女の決闘』、こちらもあらすじからご紹介しましょう。

金田一耕助が住む町、緑が丘。そこに暮らしていた外国人夫婦が帰国することになり送別会がもよおされます。近所の仲の良い人たちが誘われて和気あいあいと楽しい雰囲気の中、1人の女性が訪れたことで緊張が走りますその女性はパーティに夫婦で訪れていた夫の元妻……微妙な関係の3人が鉢合わせしてしまったのです。

落ち着かない雰囲気のまま、パーティは表面上楽し気に盛り上がっていくのですが……事件が起きてしまいます。

と、ここまでが簡単なあらすじです。

楽しいはずのパーティですが、夫婦とその元妻という気を遣う3人が揃うとギクシャクもしますよね。さらに、その元妻が受け取った招待状が偽物だったのだから……事件発生後、警察も読んでるこっちも色めき立ちます^^;

こちらの作品も招かれざる客という「いかにも」なミステリの設定を使った作品です。

誰が招待状をだしたのか? 差出人=真犯人なのか? 事件のトリックは? などなど、ミステリとしても面白いのですが、私が楽しんだのは金田一のご近所さんたちの顔ぶれです。

なんか、みんな濃い!

穏やかで人気者な外国人夫妻、ご近所のとりまとめ役・木戸のおばあちゃん、はかなげなのに警察すらぴしゃりとやりこめる泰子……

それぞれ魅力的な個性が振り分けられ、この町に住んでいたら退屈しなさそうな強者ぞろいです。

金田一の住居はたまに作中も出てきますが、登場するのは下宿先のおばちゃんくらい。こんな賑やかな町に住んでいたとは……裏設定が読めてそれにも満足でした。

3.打算された殺人

本書に収録されている両作品に言えることなのですが、真犯人の動機まで知ると「なぜ、それで人を殺すという発想になるのか?」という疑問にかられます

そもそも、殺人というのは暴力で、暴力の中でも最上級に凶悪な種類のものです。日常生活では完全に異質ですし、倫理的にはもちろん、合理的にも逸脱した行為であることは間違いありません。隠ぺいの手間や困難さ、さらに発覚した時のペナルティを考えれば、デメリットばかりでメリットなんて一つもないはずなんです。

それでも真犯人は自分の目的を遂げるために殺人という方法を選び、さらに成功率をあげるために打算的に動き回るのです。

そう、まさに打算という感じなんです。非合理的な方法を選んでいるくせに、その脇を固めるために計算するという理性的な思考を重ねているんです。

この矛盾、ここになんだかとんでもない怖さを感じます。

警察だけで解決できず金田一の手を借りることで決着をみるくらいですから、真犯人たちはそれなりに賢いわけです。打算的に動き回って捜査をかく乱させることに成功しているわけです。でも、その前に「殺人は合理的でない」と立ち止まれなかったのだろうか? とふと考えてしまうのです。

金田一の関わる事件の中には動機が憎しみや嫉妬などから発生しており、他の方法を選ぶという選択の余地を感じさせない事件もあります。でも、2作品の真犯人はそうではない。もっと他に最善の方法があっただろうに……そこに真犯人たちの根底にある強い衝動を感じるから、恐い……

世にサイコパスという言葉があり、漫画や小説でも取り上げられているので最近はご存知の方も多いでしょう。でも横溝正史の生きた時代には言葉自体があったかどうか……? 今より認知度が低かったことだけは確かではないでしょうか? それでも横溝正史は人間の中に潜むサイコパス的心理をしっかりと分かったうえで書いている、という気がします。

そう考え詰めていくと「人間を見抜く作家の心理こそ一番怖いのかもしれない」と思わされるのです。


いかがでしたでしょうか?

「いかにも横溝正史」な設定を取り入れつつ、それすらも利用してミステリとして読み応えのある作品として作り上げてある力作2作、ぜひ手に取ってみてくださいね。

それではここまで読んでくださってありがとうございました。

よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。

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