マスメディアを非難し、読者をも斬る!?『セイレーンの懺悔』読書感想
元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!
今回ご紹介する本はこちら
セイレーンの懺悔 中山七里 小学館文庫
本をご紹介する前に、最初にこれだけは述べておきましょう。
私の正直な感想です。
「この本、読みづらかった……」
面白くないわけではないのですが、主人公の性格や作品のテーマが読みづらさを作り出しています。具体的な理由は後述するとして、もし本書を読んでいる途中で「これ、読み続けようか悩むな……」という理由で「みんなはどう思ってるんだ?」と検索してこのページに辿り着いた方には、こうも言っておきましょう。
「最後まで読んだ方がいいですよ」
読みづらいのは中盤すぎまでで、終盤に向かうにつれて徐々に印象が変わっていくと思います。読み終わる頃には中盤までの読みづらさを忘れて、読後感はそんなに悪くない作品でした。
それでは、前置きはこのくらいにしてあらすじと感想をまじえながら内容をご紹介していきましょう。
1.簡単なあらすじ
まずは簡単なあらすじからご紹介しましょう。
主人公は朝倉多香美。大手テレビ局である帝都テレビの看板番組「アフタヌーンJAPAN」に配属されてまだ2年目の若き記者です。
華やかなイメージのあるテレビ局。しかもその看板番組のスタッフの目線のお話ともなれば、活気あふれる職場に優秀な人材がしのぎを削っている……なんていうシーンが登場するんだろうな、なんて期待してみれば、それはあっさりハズレます。
物語の冒頭から「アフタヌーンJAPAN」の制作陣は会議室に閉じこもり、会社の偉い人から厳しい叱責をくらっています。それもそのはず、「アフタヌーンJAPAN」は不祥事を3回も起こし視聴率は低迷、スポンサー離れの危機という、番組が存続できるかどうかのピンチに立たされているのです。
叱責が終わり、スタッフたちがそれぞれの持ち場に戻った後も、どよんとした空気は晴れません。何とかしなければ本当に番組が終わってしまうかもしれない……
そんな時に、一つの知らせが舞い込みます。
「少女誘拐事件が発生」
多香美と、彼女の指導役であるベテラン記者の里谷太一はさっそく取材に乗り出します。誘拐事件は被害者の人命第一のため、過激な報道や取材合戦はできない、でも、反面スクープを狙うチャンスでもある……!
大スクープは記者の夢、そして「アフタヌーンJAPAN」にとっても起死回生の一手になります。
ベテラン・里谷に促されるようにして多香美も捜査本部のエース刑事・宮藤に張り付き、事件を追い始めます……
2.緊迫感のある序盤
誘拐事件発生の一方を受けた後、お話は誘拐事件捜査の要、被害者の安否をめぐって話が進んでいきます。
「被害者は無事に家族の元に帰ってくることが出来るのか?」
この強力な不安と期待に引っ張られるので、序盤は緊迫感があってすいすいと読んでいけるのではないかと思います。
さらに、本作ではもう一つの緊張感も演出しています。それが「アフタヌーンJAPAN」は起死回生の一手を打てるのか? というものです。
あらすじにも書いた通り、「アフタヌーンJAPAN」は大ピンチです。読めばわかるのですが、「アフタヌーンJAPAN」がしでかした不祥事はかなり悪質です。「そりゃスポンサーも離れようとするよ……」と納得の大不祥事3連発。こんな捏造や軽率な番組作りが続けば視聴率も低迷するはずです。
本気で番組存続も危ぶまれる中、一番の特効薬は言うまでもなく「特大スクープ」をものにすることです。そしておあつらえ向きに、作中では誘拐事件という世間の注目度が高い事件が発生してくれるわけです。
ピンチとそれを克服するために奮闘するストーリーは物語を作る上で欠かせない要素です。
誘拐事件の展開は早く、被害者の発見、そして容疑者候補のあぶり出しへとトントン拍子に進んでいきます。この中で多香美たちが他社が掴んでいない情報をつかみ取れるのか? この疑問が気になって読み進められると思います。
3.読みづらさの原因は
しかし、中盤に差し掛かった辺りで様子が変わります。誘拐事件と帝都テレビのピンチに引っ張られるように読み進められたのが、急に読む手にブレーキがかかったような感覚になったのです。理由が、冒頭でもちらりと書きましたが「読みづらい……」という感覚のせい。
お話がつまらなくなってしまったから? いいえ、そういうわけではないんです。
誘拐事件の真相はまだ闇の中ですし、帝都テレビのピンチは克服されるどころかさらなる泥沼にはまっていく始末……話としてはむしろ盛り上がっていく途中なのに、です。どうにも読む気分は盛り上がりません。
その理由は2つあるようです。
一つ目 主人公・多香美の個性
本書は終始、新米記者である多香美の視点で書かれています。彼女がどう思い、どう考え、どう行動したのか、読者には筒抜け状態であるとも言い換えられます。多香美は新米らしくやる気も負けん気もあります。さらに「記者」になった理由にもどうやら「過去に秘密がある」らしいと物語の冒頭辺りで判明しています。これだけなら「いかにも主人公!」な個性づくりになっているのですが、彼女の個性はそれを補って余りある特徴も持っています。
それがどうにも「青くさく、未熟だ」ということです。
新米記者ということを差し引いても、多香美の言動には「空回りした正義感」や「承認欲求」が付きまとっています。マスコミは人々の知る権利を守る存在だ、とか、私の記事でみんなにスクープを知らしめたい、といった気持ちが先走ります。これらの気持ちの是非はともかく、多香美のこういった考えのせいで、帝都テレビやマスコミといったものが攻撃の対象になると多香美は自分が攻撃されたかのように神経をとがらせて反応してしまいます。
これらの特徴がよく出たシーンが冒頭すぐにあります。帝都テレビの置かれている現状がいまいち認識できていない多香美に、先輩である里谷が解説したシーンです。しばらく特ダネは追うなという状況でもあると言われたときに、多香美はふいに逆上してフロアに響くような声で里谷に食ってかかります。「記者がそれでいいんですか!?」一言でまとめればそういった主旨で多香美は里谷に噛みつくのです。
こうやって急に攻撃的になるシーンが多香美には多いのですが、彼女は未熟でもあるため、たいてい相手に打ち負かされてしまうという展開に……冒頭の里谷にかみついたシーンでも、ベテランで精神的にも大人な里谷に諭されていました。多香美が感情を高ぶらせるシーンはたいてい、こんなふうな展開になることが多く、大人に正論で叱られて反抗心だけを募らせる子供を見ているような気分にさせられました。
さらに、多香美の「過去の秘密」も彼女の「空回りした正義感」や「承認欲求」を育て、支えている原動力になっているようで、それも個人的には少々、うーん……と思わされたところでした。詳しくはネタバレになるので書きませんが「被害者の立場になれば加害者を攻撃してもいいのだ」という横暴な考え方が透けて見えるというか……
多香美は「主人公らしくない個性」の方が勝っており、感情移入しづらい(したくない)性格の持ち主です。これは読みづらい……
逆に言えば、多香美の性格を冒頭すぐに読者にはっきりわからせるシーンを置いたり、多香美の言動が歪んでいようともぶれずに表現されているところはさすがプロの文章力です。
二つ目 読者をも攻撃
本書は誘拐事件を紐解いていくミステリであると同時に「マスコミの意義」や「人々にとってマスメディアとはどんな存在か?」といった、マスコミの存在意義を問う物語でもあります。
主人公がマスコミ側の人間なので、メインで議論されるのは「報道する側」の倫理観にはなるのですが、「受け取る側」が何をマスコミに求めているのかも、ふんだんに議論の中に登場します。
今はネットやSNSがあるので、受け取る側も意見を容易に発信できる時代となり、「好奇心を刺激するだけの記事は必要なのか?」といった議論が論じやすい時代になってきました。しかし一方で、煽情的な見出しでただ「記事をクリックしてもらえればそれでいい」という記事が乱立したり「プライバシーの侵害だが少し知りたいと思ってしまう」ような記事もまだまだ存在しています。そういった記事が事実、好まれる……といった意見も、本書の中に登場します。結局、受け取る側の需要があるから、倫理観に照らしてみれば「ギリギリグレー、もしくは黒」といった内容の記事を生み出さざるを得ないという理論です。
マスメディアの受け手側の倫理観はどうにも耳(小説だから目か?)が痛い話です。自分の中にも確かにそういう野次馬根性はあります。でもそれを詳説の中で理路整然と指摘されてしまうと居心地が悪いと感じてしまうのも仕方ありません。
お話のメインテーマなので避けては通れなかったのだとは思いますが、「マスコミの意義」を議論するにあたって、それは読者をも斬りつけ攻撃してしまっている、という文章が登場するので説教されているような気分になってしまいました……
逆に言えば、現実の問題点を鋭く突いてあるとも言い換えられます。確かにちょっと説教じみており中だるみを感じさせる構成になってしまっていますが、マスメディアの倫理観に発信する側からも切り込んであり、作者さんは取材も熱心にされたんだろうなあ、と執筆の裏側の苦労も感じました。
4.とはいえ、最後まで読もう
確かに読みづらい要素のある『セイレーンの懺悔』。だからといって途中で投げ出してしまうのはもったいない作品でもあります。
多香美の性格難や中だるみが目立つ中盤を過ぎ、終盤に近付くにつれて序盤の緊張感を取り戻します。
いよいよ、誘拐事件の真相に多香美が迫っていくためです。
中山七里はやはりミステリ作家なのだ(そういえばデビュー作もミステリだ)、という実力を見せつけてくれる展開だったと思います。ドンデン返し、とまではいかないですが、読み終わってもしばらく余韻が残るような、衝撃を与えてくれる真相でした。
その衝撃を印象深く演出しているのが、ラスト近くに事件関係者と多香美が対峙するシーンです。そのシーンの最後、多香美とその人物との別れのシーンは、この記事を書いている現在、読み終わって1週間くらい経ちますがいまだにふと思い出します。
「あの時、多香美が振り返っていたら何を見ていたのだろうか……?」
想像力と恐怖心と、少しの好奇心をかきたてる素晴らしい演出の仕方だったと思います。
5.池上彰さんの解説
これは本文には関係ないですが、面白かったので少しだけ触れておきます。
『セイレーンの懺悔』の帯にコメントも寄せている池上彰さん、小学館文庫版では「解説」も担当されています。
本を買って解説までじっくり読むという方は少ないかなと思うのですが(私も実は普段は流し読みしてしまうことが多い……)、池上彰さんの解説はぜひ一読してほしいと思います。
自身もマスコミの発信する側だった池上彰さん、マスメディアの倫理を問うたこの作品にいろいろと感じるものがあったようで、ご自身の経験も披露しつつ作品の持つリアリティやテーマについて論じています。
作品そっちのけで煙に巻くような解説を書く人も多い中、池上彰さんの文章は一味も二味も違っていました。真摯に作品について論じ、またその文章が抜群に上手い! 解説ってこんなに面白く書けるもんなんだ、と何千作と読んできて初めての経験でした。
いかがでしたでしょうか?
記事を読み返してみると、当ブログにしては珍しくあまり作品のことを誉めてない部分が多い記事になったな、と思います。読書をおススメするのが主旨のブログでこれは珍しいことです。
ただ、これは「読む順番の問題」だったかもしれません。中山七里作品を初めて読んだのはデビュー作『さよならドビュッシー』でした。これは若きピアニストの再生のお話であり、あっと驚くドンデン返しありのミステリでもあり、「このミステリーがすごい!」大賞を受賞したのも納得の傑作でした。『さよならドビュッシー』の鮮烈なインパクトが記憶に残っていてそれと比べてしまう……というのは他の作品にとっては酷な話かもしれません。
もし、あなたが初めて中山七里作品読もうと思って手に取るなら『さよならドビュッシー』もおススメですよ。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。