読書感想|厭もこれだけ重なると面白くなる、厭な小説(京極夏彦)
元ライターが作家目線で読書する当ブログへようこそ!
厭な小説 京極夏彦 祥伝社文庫
今回ご紹介する小説は、Twitterのフォロワーさんから教えていただいた作品です。
有名な作家さんですし、タイトルだけは知っていたのですが、内容はどんなものかは知らず…
しかし、「日本三大奇書はすべて昭和の作品、平成の作品でも奇書を、と考えたが思いつかない」という私の呟きに、平成の奇書としてお薦めいただいたのをきっかけで読むことにしました。
表紙には不気味な顔をした赤ちゃんの絵、帯には「知りませんからね。読んで後悔しても。」の煽り。
読む前から、「厭な感じ」がびしばし伝わってくる本ですが、内容も本当に「厭」の詰め合わせでした。
感想はこれから書いていきますが、最初に一言だけ、
” 何事も、極端に突き詰めると面白くなる”
これは私がエンタメに触れるたびに感じることなんですが、どんな内容でも、極度に振り切れるとそれなりに面白くなるなあ、と、それを地で行くような作品でした。
それでは、内容をご紹介していきます。
短編集なので、タイトルごとに、あらすじと感想を分けて書いています。
この後はネタバレありです、ご注意ください。
目次
1.厭な子供
2.厭な老人
3.厭な扉
4.厭な先祖
5.厭な彼女
6.厭な家
7.厭な小説
1.厭な子供
(あらすじ)
サラリーマンの高部は、職場では嫌な上司に悩まされ、家ではヒステリックな妻に悩まされていた。
高部は、頭の大きな、愚鈍そうな顔をした子供が家の中にいることに気づく。
捕まえようと追いかけてもすぐにいなくなってしまう。
自分の気のせいかと思えば妻にも見えるという。
高部は仕事を休んで厭な感じのする子供から妻を守ろうとするが、子供は高部がいると家に出てこなくなった。
そのうちに妻との関係も改善され、仕事も辞職することを決意する。
仕事を辞めたその日、高部が家に帰ると、そこには正気を失った妻と、その原因となった子供がいた。
高部は自分がいない間に妻に危害を加えた子供を打ち据え、自分も発狂したのだった。
(感想)
個人的に一番嫌だった話です。
子供というのは可愛いものだと思っているので、おぞましい存在となって出てくると嫌悪感を感じるせいですね。
そして、話の展開も読者が「厭」を殊更つよく感じるように作られていたと思います。
ストレスフルな状況に置かれている高部が、不吉な感じのする子供が家に現れて、どんどん悪循環していくのかと思えば、
妻との関係が修復するなど、プラスに転じて、実はいい話で終わるのかな、と期待させるんです。
そこからの急転直下、ラストの後味の悪さが凄いです。
短編集のトップバッターなので、この連作はどんなテイストのものが続くのか、ここでガツン、と読者にお知らせしてるわけですね。
「どうしますか? ここで止めときますか? それとも……」
京極夏彦先生の薄ら笑いが見えるようです。
私の決断は、Yes、読み続けました。
2.厭な老人
(あらすじ)
君枝は老人介護に疲れていた。
家にいる老人は頭がぼけてもいないのに、君枝に嫌がらせのようにぼけた振る舞いをする。
友人に愚痴っても真剣に取り合ってもらえないばかりか、そんな老人と一緒に家の中に二人きりでいるなんて危険ではないのか、と指摘される。
その指摘を受けてから家にいても老人の発する臭いや気配に気が休まらない君枝。
夫に話をすると、どうにかして対策を立てようと請け負ってくれる。
しかし、その前についに君枝に直接危害を加えようとしてきた老人を、君枝は殺してしまう。
警察では正当防衛とされたが、どうも話が噛み合わない。
君枝を襲ったのは一緒に暮らしていた老人などではなく、高齢の押し込み強盗だったというのだ。
君枝が一緒に暮らしていた老人は誰だったのか。
自分の血縁ではない、しかし、夫も自分の血縁ではない、と言ってはいなかったか?
錯乱する君枝が家に帰ると、夫が見知らぬ老人とともに待っていた。
「君枝、次はこの人を頼む」
夫の一言に、君枝は発狂した。
(感想)
介護は未経験ですが、育児をしているので、その大変さの10分の1くらいは想像できます。
ただでさえ過酷な仕事なのに、相手が嫌がらせのようにわざと自分の手を煩わせていたら…
考えるだけでぞっとしますね。
この話は次々と主人公の語りによって、読者に事実が知らされ、緊張感を増していく構造になっています。
老人介護が大変 → その老人はボケたふりをしているだけ → 君枝に興味をもっているらしい
→ 実際に君枝に手を出してきた → 老人は自分・夫ともに血縁者ではなかった → 夫が新たな老人を連れてくる
ざっと要素を抜き出してみると、「厭」のループにハマっていたことに気が付き、読者も発狂しそうです。
一番背筋が凍るのは、夫の正体が知れた時です。
主人公の一人称で書かれているのですが、必要以上に夫を持ち上げる描写が多いなあと読んでいる途中に感じていたら…
オチをぐっと引き立てるためだったんですね。
一番の味方であったはずが、唾棄すべき敵だった。
この事実が最も「厭」です。
3.厭な扉
(あらすじ)
木崎は事業に失敗して多額の借金を背負いホームレスになっていた。
妻子を守るために離婚もしたが、債鬼は構わずに彼女たちにも返済を迫り、無理心中をしてしまっていた。
絶望した木崎の前に現れたのは、幸福になった男としてホームレス仲間の間で噂になっていた新美だった。
新美はあるホテルに泊まったことで幸せになったのだという。
ところが、新美はその幸せの権利を木崎に譲ると言い出した。
半信半疑のまま、新美に従ってホテルを訪れる木崎は、新美からある部屋に泊まり、そこに後から来た男の頭をショットガンで撃ち抜き、持っているはずの金を奪って逃げろと言われる。
ふざけるなと憤る木崎だが、結局は誘惑に抗しきれず新美に言われた通り、殺人を実行してしまう。
木崎はその後、幸運に恵まれ、大金持ちになり幸せになった。
しかし、その幸せには一つ条件があった。
年に一度、新美から幸福になる権利を譲られた日にホテルの例の一室に金を持っていかなければならない、という約束だ。
木崎はその約束を果たすためにホテルを訪れ、一年前に泊まった部屋の扉を開けた瞬間――頭を爆発させて死んだ。
過去の木崎が撃ち殺したのは自分、幸せになった後の自分を殺して金を奪っていたのだった。
(感想)
このお話は、世にも奇妙な物語でドラマ化されています。
同番組が好みそうなテイストですよね。
そのせいかはわかりませんが、この話だけは他の作品と少し毛色が異なっている印象です。
他の作品は自分の身近な家や人に「厭」が気が付いたら紛れ込んでいるのですが、この作品だけは主人公が「厭」のサイクルを自分で選んでいるんですよね。
最も、幸せになった後、このホテルの扉の前に立つまでは何が起こるか本人にも理解できていない(覚えていない?)設定ではあるようなのですが。
しかし、木崎に幸せのループを持ち掛けた新美は明確にこのループの仕組みを自覚しているようなので、やめようと思えばやめられるのでしょう。
話の中で、木崎が何回目のループをしているのかまでは正確にはわかりませんが、2~3回というレベルは通り越して、繰り返しているらしい様子が伺えます。
ループを繰り返す木崎は果たして幸せなのか、不幸せなのか。
客観的に見れば不幸だと判断する人が多そうですが、木崎の主観は幸せで留まっているのかもしれません。
知らぬが仏、という言葉にぴったりな状況です。
地獄は死んでもすぐに蘇り、永遠に死の責め苦が続く世界と考えられているそうですが、この幸せループもある意味地獄みたいなものだと感じています。
木崎が幸せループに浸るその前に、妻子が苦しみの挙句に無理心中をしているのに、ホテルに泊まって「俺は幸せになった」なんて思う男には地獄がお似合いだわ、と個人的には思います。
4.厭な先祖
(あらすじ)
河合は後輩の志村から仏壇を預かってもらえないか、とお願いされ、嫌々ながらこれを承諾してしまう。
志村から仏壇を預かって部屋に置いたとたん、異臭がする。
存在感もあり、異臭もあり、とにかく気になって仕方がない、厭で仕方がない。
河合は早く志村に仏壇を引き取ってもらおうとするが、連絡はつかない、ついても相手にされない。
家に押しかけても暖簾に腕押し状態。
河合は仕方なく預かり続けるが、恋人が家に来て楽しいはずの時間も仏壇のせいで心が落ち着かない。
たまりかねた河合は仏壇の中を開いてみる。
そこには、志村の先祖がぎっちりと詰まっていた。
しかも、意識を持ち、河合の生活を覗き見ていたらしい。
そして、仏壇と生活を共にするうち、中身が変わっていることに河合は気が付く。
志村の先祖が詰まっていたはずなのに、いつの間にか自分の先祖が詰まっていたのである。
(感想)
『厭な先祖』は、あらすじはさらっと書きましたが、中身はもっと生々しい話です。
よその家の仏壇を預かることを想像しただけでも厭なのに、河合に降りかかった災難は生理的嫌悪感がするレベルで鳥肌ものです。
それにもかかわらず、この辺りから、だんだん読み進めるのが楽しくなってきました。
次はどんな「厭」が待ち受けているのかな?
一言で言えばワクワクと期待してしまっていたのです。
半分をすぎたこの辺りまで読むと、この本に詰まっているのは、ただ本当に「厭」な思いをするだけの話の羅列で、後味の良い話はこの先もないに違いないと気がつくんです。
しかし、「厭」にもいろいろなバリエーションがあるようだ、とも読者は気づかされるわけです。
幸せな形はどれも似ているけれど、不幸の形は千差万別、なんと言葉を思い出しながら読んでいました。
「どうです? 面白くなってきましたか?」
皮肉な笑みを浮かべた京極先生が見えるようです。
5.厭な彼女
(あらすじ)
郡山は彼女の奇行に悩んでいた。
彼女は元カレに暴力を振るわれているところを、たまたま通りがかって助けたことが縁で出会ったのだが、ぱっと見は美人で気立てもよく、いい女である。
ところが、彼女は郡山が厭と思ったことを、執拗に繰り返すという嫌がらせを、郡山が注意しても、怒鳴っても、果ては暴力に及んでも繰り返すのである。
嫌いな食材を出し続ける、トイレのタオルを床に落としっぱなしにする、ペットの魚を死なせてしまう。
一度きりであればどれも我慢できる程度のものなのに、彼女は郡山の注意を聞いて「わかりました」とその場では言うものの、繰り返す。
ストレスが爆発した郡山は、ある時彼女の首を絞めてしまう。
気が付いたとき郡山は病院のベッドの上だった。
彼女は平然と自分の看病をしており、心配して様子を見に来てくれた会社の先輩も、部屋は普通で死んだ魚が水槽に詰まっていることもなく、荒れた様子などどこにもなかったと言う。
全ては自分の妄想だったのか?
そう思った郡山だが、先輩が帰ったとたん、彼女は本性を現し、再び郡山の厭なことをし続けるのだった。
(感想)
どれだけ美人で外面がよかろうが、こんな恋人は厭ですよね。
別れようにも、自分が厭で別れようとしてるんだ、ということが伝われば、もう絶対に離れてくれないに違いありません。
このお話、どこか既視感があるなあと読んでいる途中から思っていたのですが、ブログを書いている間にその正体にきがつきました。
この彼女、子供そっくりです。
子供は何故か「やめなさい、待ちなさい、繰り返さない」と言い聞かせても、やめない、待たない、何度か繰り返さないと気が済まない、という存在なんですね。
一つ一つは些細なことなんですが…例えば、「トイレを使った後は電気を消しなさい」。
これも何度も、そのたびに言い聞かせて「わかった」と頷くまで確認しているのに、繰り返すんです。
さすがに10回以上同じ事をすると、記憶に染みついてくるようで、徐々に頻度が下がっては来るんですけどね。
相手が子供なら、こちらも根気が必要だと身構えていますし、そもそも可愛い存在なので、爆発するようなストレスにまでは発展しないのですが……
大人相手だとその心労は計り知れないですね。
6.厭な家
殿村は会社を定年退職後、家に悩まされることとなった。
三年前に先だった妻と、息子と暮らしたお気に入りの家だったが、退職した後から妙なことが起こるようになった。
殿村が厭だと思うことを、家が繰り返すようになったのだ。
例えば、捨て忘れた生ごみを踏んでしまい、靴下と床が汚水で濡れて汚れてしまう経験をすると、もう掃除もすっかり済ませ綺麗にしたはずなのに、同じ場所を踏むと靴下が汚れ、濡れてしまう。
足の小指を棚の角でぶつけたので、棚を別の場所にどけたのに、同じところを通るたびに足に激痛が走り、ついには骨折までする始末。
殿村は家が急に厭な場所に変わってしまい、元部下に相談し、家についてきてもらうが、玄関を開けたところで空き巣に出くわし、腹を刺されてしまう。
軽傷で済み、治療を終えて家に帰った殿村だが、玄関を開けたところで腹に激痛を感じ倒れてしまう。
刺されて厭だった記憶を家が繰り返していることに気が付くが、そのまま意識を失い還らぬ人となる。
(感想)
居心地のいい場所であるはずの家が悪意を向けてきたら?
ついには家主を殺すまでに発展するこのお話、これまた風変わりな設定を思いついたなあと感心しながら読んでいました。
今までのお話は、人間の意志(生きているとは限らない)により厭な状況が生まれていたのが、ついに無機物までが牙を剥きました。
このお話の厭なところは、家が主の厭を、自動的に感じ取ってしまうところなんですよね。
前述の『厭な彼女』でさえ、嫌がらせを行うトリガーは「あなたが厭だと言うから」だと、主人公に告げているんですね。
つまり、厭な気持を悟られなければ、ストレスを爆発させるほどに彼女の嫌がらせ行為はエスカレートしなかった可能性もあったわけです。
でも、この家は違います。
厭だと思ったら、それで最後。
家は主に厭を繰り返し繰り返し仕向けてしまう。
気持ちなんてものは、沸いてしまうその瞬間はどうしようもないものだと思います。
沸いてしまった後に、どう処理するか、で個性や性格の差がでるわけで。
そんなコントロール仕様のない部分を感じ取ってしまわれると、対処法などないも同然なんですよね。
よくぞここまで厭な仕組みを思いつかれました、と脱帽の思いで読んでいました。
7.厭な小説
(あらすじ)
深谷は大嫌いな上司、亀井と新幹線で東京から博多まで二人きりの出張に向かっている途中である。
亀井は部下をいびり、女性とみればセクハラし、その上絶望的に仕事ができないという、一緒にいるだけで胃に穴が開きそうな厭な存在である。
長距離を厭で仕方ない相手と二人きりで移動しなければならない状況にうんざりとする深谷に、亀井は案の定嫌味を飛ばしてくる。
深谷はそれから逃れるために、たまたま買った古本『厭な小説』を読むことにするが、その中身は驚くべきことに、深谷の知り合いがここ最近体験した奇妙な話そっくりだったのである。
混乱する深谷に、亀井がまた話しかけてくる。
内容は当然嫌味である。
しかし、その内容は先ほど、本を読み始める前に聞いたものと全く同じである。
深谷は先ほどと同じように、亀井に本を読むと言って嫌味から逃れる。
また最初から小説をよみ、再び亀井から同じ嫌味を言われ……
繰り返す状況、到着する気配のない目的地に、混乱とストレスの極致に陥った深谷は、とうとう亀井に罵詈雑言を浴びせてしまう。
その時、新幹線は目的地である博多に着き、小説の最後は「何よりも厭なことが、この先お前に起きる」で終わっていた。
(感想)
各話のあらすじには書きませんでしたが、7つの厭なお話は一人の人物を通して微妙につながっています。
そのキーマンがこのお話の主人公、深谷です。
同僚、先輩、後輩、上司、部下などこれまで厭な思いをした人々はすべて、この深谷の関係者です。
じゃあこの最後の七つ目の話を読めば、なぜ厭な現象が起こっていたのかわかるのでは?
と思いきや、あらすじ通り、深谷がただひたすら厭な目に遭い、これからの身の破滅を予感させて終わるだけで、連作の謎は一切解き明かされません!
歯の奥の隙間にもやしが挟まっちゃったようなじれったい、気になる、そんな後味の悪さだけを残して小説は終わってしまいました。
厭ですね、笑。
最後くらいすっきり終わらせてよー!と言いたいところですが、そういってみたところで、帰ってくるのは京極先生のしたり顔という気がします。
いかがでしたでしょうか?
厭ばかりが詰まったこの本ですが、読み終わってみると感想は「面白かった」と思います。
読中も読後も感じの悪さはぬぐえないのに、ちゃんとエンターテイメントとして成り立ってるんですよね。
途中でも書きましたが、厭もこれだけの量と種類をそろえて突き詰めると、次は何が出てくるのかな?!という期待を抱かせます。
さらに、他人の不幸は蜜の味、ではないですが、厭な話でも自分の直接降りかかるのでなければ、「あら、厭ねぇ」と井戸端会議で聞くよその家の旦那の愚痴のように、「よかった、うちの話じゃなくて」と、どこか面白おかしく聞けるものなんですよね。
それも京極先生ならではの理路整然とした文章で分かりやすく解説されるんですから、リーダビリティも高いのです。
どんなものでも極度に突き詰めると面白くなる、冒頭に書いたエンターテイメントに対する私の考えを肯定してくれる作品でした。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
よろしければ感想など、コメントに残していってくださいね。